▼5 思想改造する「ラスト・エンペラー」溥儀 | ぐーすけとりきのブログ

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 清朝最後の皇帝のみならず満州国皇帝としても担がれ
時代に翻弄された「ラスト・エンペラー」溥儀。


 1945年8月17日、日本の敗戦に伴い
満州国皇帝の座を退いた溥儀は、日本への亡命を希望したため、
親族らとともに小型の飛行機に乗り込んだ。
このまま日本に到着すれば、彼は少しはまともに処遇
されたかもしれない。


 ところが、なぜか立ち寄った奉天の空港で休息しているとき、
十数機のソ連軍の飛行機が襲来し、空港を占領。
溥儀はソ連軍の捕虜となってしまったのである。


 ハバロフスクでの5年におよぶ収容所暮らしののち、
溥儀の身柄は中国政府に引き渡され、かつて自身が皇帝を
務めていた満州国の撫順にある戦犯管理所に収監された。


 だが、毛沢東や周恩来らの寛大な計らいにより
思想改造に取り組むことで命は保証された。
溥儀が特赦によって自由の身となるのは1959年のこと。
溥儀は53歳になっていた。


 管理所からの出所後、自伝の執筆を主な仕事と
していた溥儀は、1962年4月、政協(中国人民政治協
商会議全国委員会)の勧めによって、看護婦の李淑賢と結婚する。


 清朝の皇帝として正を享けた溥儀だったから、
一般人として生活することは教えられていない。
家事の能力はほとんどなかった。


 さらに、彼を悩ませていたのが、性的に不能だったことである。
幼い頃から宮廷の女性に囲まれていた溥儀は、一説によると
同性愛者だったともいわれている。


 政協の文史資料研究委員会の同僚によると、
宦官は大きな苦痛を受けたあとに不能となるのに、
自分は苦痛を受けたいないのに宦官になってしまった
と述べていたらしい。


 宦官は宮廷に仕える男性のことで、
去勢されたうえで仕えることになっている。
溥儀は去勢されたわけではないが、自身がそうなって
しまったと嘆いているというわけである。


 溥儀は1967年10月、61歳でこの世を去った。


 妻の李淑賢も、溥儀の家庭人としての能力の低さには
悩まされたようで、溥儀に対しては怒りを覚えることが
少なくなかったようだ。


 なお、李淑賢は正妻としては2番目で、最初の妻は婉容といった。
婉容は17歳の時に溥儀と結婚したが、彼女もまた
夫の性的不能に悩まされたと伝わる。


 彼女はのちにアヘン中毒に陥るが、その原因のひとつは
夫のそれにあったともいわれるほどだ。


 ちなみに婉容は、戦後、中国共産党軍に捕らえられたのち、
吉林省の監獄にて孤独のうちに亡くなったとされる。
その遺骨がどこに眠っているのかさえいまだに不明である。