ちなみに、田中の先の「第一声」重視のエピソードとして
有名な旧ソ連のブレジネフ書記長との大論争がある。
昭和48年
ときに、田中首相は懸案の北方領土返還問題の決着を
つけるべく、ソ連入りをした。
田中首相とブレジネフ書記長の首脳会談は、
田中が北方領土問題に言及すると、
ブレジネフはその問題を避けるように、
話をシベリア開発問題に持って行ってしまい、
その繰り返しであった。
業を煮やした田中は、
最後の第四回首脳会談の「第一声」で、
「私は、北方領土問題を話に来た。
それ以外は話さないッ」と
こう切り出したのであった。
結果、首脳会談は共同声明に
「領土」の字句を「入れろッ」「入れぬッ」と
やりあって大モメにモメたあと、
田中が再び、
「領土の字句を入れぬなら
われわれは共同声明を出さずに帰国するつもりだッ」
と迫った。
最後は、ソ連側は共同声明では
「領土」の字句をいれることは拒否したものの、
「未解決の諸問題」の字句を入れ、
この字句のなかには「領土」の含まれることを
口頭了解するという形になったのだった。
今日、日露関係のなかで、このときの「未解決の諸問題」
の字句が、どのような重みを持っているかは改めて
指摘するまでもない。
田中のテーブルを叩きながらの迫力に満ちた
「私は、北方領土問題を話しに来た。
それ以外は話さないッ」という
「第一声」の先制パンチがなければ、
あるいはこの日露交渉は「モスクワ・ペース」となり
異なった展開になったかもしれないのである。
一方。「戦時首相」東条英機と対立して
内閣打倒運動に腐心、最期は自刃して果てた
中野正剛という悲劇の政治家がいた。
中野は一方で雄弁家としても聞こえていた。
演説の際の中野は、
登場するやまずぐるりと会場を見渡し、
ひと呼吸入れたところで
やおら次のような
「第一声」を放ったことが伝わっている。
「諸君!
私がこれから話そうとしていることは、
すでに諸君の心のなかにある。
いまさら何を話すことあろうや」
会場を埋め尽くした聴衆は、すでに中野の意は汲んでいる。
聴衆はこの「第一声」に万雷の拍手を浴びせ、
それがやんだところで中野は自説を滔々と述べはじめたのだった。
「第一声」の入り方、「間」のとり方、
たちどころに聴衆と「一体感」を作り上げてしまう
中野のテクニックは、弁論術の最たるものとして
伝わっている。