「笑い」というものが、日本社会の中で市民権を得るようにな
ったのは、いつ頃からだろうか。
かつては「男は歯を見せて笑うな」といった躾(しつけ)が当然
とされた時代があり、笑いを求める人間は、軽薄のそしりを受けて
いた。一部の熱狂的なお笑いファンが、落語や漫才、寄席、喜劇
映画などに、自分だけの笑いの世界を構築していたとも言える。
その頃の俳優や歌手はファンの憧憬(しょうけい)を受ける対象
であり、自ら進んで笑いを振りまくことはなかった。今でも大御所
と呼ばれる芸能人がジョークを飛ばすとき、周囲の人は、そのあま
りのツマラナサに、どう対処していいかわからない表情をするシー
ンがたびたびある。企業等の実社会でも同じようなことがあると
思う。大御所や上役は、笑いが市民権を得る前に社会人として生き
てきたため、笑いのセンスが乏しいのだ。
ところが1980年頃から様相がガラッと変わってきた。
笑いを取れる歌手、タレントが人気を得るようになった。日本
社会が笑いを許容する成熟を示し始めたからだ。それは時代を
経るに従って顕著になっている。たとえば、SMAPの成功は歌も芝
居もできるが、強みはバラエティで笑いの才能を発揮できること
が大きい。
ユーモアという英語は、もともと「人間の体液」という意味だが
笑いは人間らしさをしたたらせる決め手の一つと言える。成熟した
時代を迎えつつあった日本は、1980年代前半から人間らしさ
を求め、その入口として笑いを重要視するようになったのだ。
そうした時代背景に、サザンオールスターズが登場した。ひと昔
前の価値観から見れば不謹慎と批判されかねない笑いを通じた
ヒューマンな匂いと、笑いの水面下に流れる人間の魂が、若年層
から喝采を受けたのである。それだけ、サザンの曲は成熟社会に
ふさわしい「ふところの深さ」があった。