▼6 第二次ノモンハン事件、ソ連側の被害甚大 | ぐーすけとりきのブログ

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 次はノモンハン事件の第二次に目を向けてみよう。6月17日
にソ連の飛行機は突如として満州国各地を爆撃し、地上軍は
満洲国の各地を攻撃してきた。第二次ノモンハン事件の始まり
である。


 第二次ノモンハン事件は、開戦から2ヶ月経った8月20日まで
は、日本軍が完全にソ連軍を圧倒していた。具体的な数字でみて
みよう。ノモンハン事件全体で被った双方の戦死傷者は、日本軍
の1万7405に対し、ソ連軍が2万5565であることは
先に述べた。そのうち8月20日までの戦死傷者数をみると、
日本軍の7000名に対しソ連軍は1万5000前後である。
3万にも満たぬ少数の日本軍が、23万の敵の大軍を相手に
これだけの戦果をあげているのである。これを大勝利と言わずして
なんと言おう。


 8月20日以降、ソ連軍が如何なる犠牲も厭わない人海戦術とで
もいってよい大攻勢をかけてきたために、日本軍の戦死傷者は
急増した。ノモンハン事件全体における日本軍の犠牲は、大部分
がこの時期の、わずか数日間の戦闘に集中しているといってよい。
これは日本軍が終始不拡大方針を貫き、侵入してきた敵軍を
追い払うことに主眼をおいて、現地に増援軍を派遣しなかったため
に生じた悲劇である。だが8月20日以降のソ連側の犠牲も甚大で
ソ連の大軍はノモンハンの国境地帯で、少数の日本軍に食い止め
られ、突破することができず、膠着状態になった。