203高地攻撃をめぐる確執については、この頃から顕著に
なり始めていた、日本軍内部の陸軍と海軍の対立がその背景
にあった。あくまでも203高地に固執する海軍(旅順艦隊一掃
という海軍の戦略的要求によるもの)に対し、満州総司令部
の児島源太郎と大山巌は、一貫して第三軍の望台陣地攻略を
支持し続けたのである。
旅順攻略の要は203高地ではなく望台陣地である、というのは
満州総司令部と第三軍の統一された意思見解であり、これは
最後まで変わることはなかった。司馬氏が第三軍を頑迷固陋だ
と批判するならば、これは児玉や大山も含めた日本陸軍全体が
無能だと批判するに等しい。
ここでひとつの仮定として、もしも第三軍が最初から203高地
を主目標にしていたら、どうなっていたのであろうか?
ちょっと考えてみよう。おそらく3回目の総攻撃の時以上の莫大
な犠牲を出して敗退していただろう。そして203高地に主力を
向けることによって、肝心要の望台陣地に対する攻撃も手薄になり
こちらのほうもまた奪取することは難しくなっていたであろう。
それならば、なぜ、3回目の攻撃の時に203高地は落ちたのか
それは、つまりそれまでの数度にわたる、望台を中心とする敵
正面陣地への攻撃によってロシア側にも手痛い損傷を与え、敵の
戦力をじわじわと消耗させていたからである。
それまでの戦闘による兵員の欠損は深刻な様相を帯びてきていて
病院に収容している傷病兵までも駆り出してこの先頭に充てて
いる。結局この203高地を含めたすべての戦場が、日露双方に
対して一大消耗戦を強いたのだ。