1600年代のはじめ、長崎にコーヒーがもたらされた。
「長崎寄合町諸事書上控帳」によれば、長崎丸山の遊女がオランダ
人からもらった物として「コヲヒ豆ひと箱。チョクラート」という
記述があることから、遊女がオランダ商人からコーヒーのもてなし
を受けていたことがわかる。
また。文化元年(1804年)に出版された大田蜀山人の
「けい浦又綴」(けいほゆうてつ)には、赤毛船(オランダ船)
で、カウヒイというものを飲んだ。豆を黒く炒って粉にし、砂糖
と和えたものだが、焦げ臭くて飲めた代物ではない」と記され
ている。
大田蜀山人は戯作者で、食通としても高名な人物だったが
グルメで鳴らした舌にも、コーヒーの味はなじまなかったと見える。
その「焦げ臭い飲料」が、アロマ漂う魅惑の飲み物として日本人
に受け入れられるようになったのは、明治時代に入ってからの
ことである。