予科練とは、当時の子供たちがもっとも憧れる道だった。
予科練の正式名称は「海軍飛行予科練習生」といい、海軍
航空隊の下士官パイロットの養成機関で訓練を受けている青少年
たちの総称だった。
15歳から17歳の少年で、海軍航空隊を希望するものが受験
し合格すると茨城県の土浦にある海軍飛行訓練所でさまざまな
訓練を受け、(今日も飛ぶ飛ぶ~霞ヶ浦を~♪「予科練の歌」)
やがて海軍の若鷲として、戦場に飛び立っていったのである。
飛行兵ではなく、戦艦に乗り、海上作戦や攻撃に従事する
士官を希望する者は、海軍兵学校に進学した。海軍兵学校は広島県
の江田島にあり(もちろん、男塾塾塾長・江田島平八とはなんの
関係もない)合格者は3年間、徹底的な英才教育をほどこされ、
将来の日本海軍を担うエリートとして育てられた。冬は黒、夏は
純白の短い上着の制服に、腰に短剣を吊るした江田島健児たちは
女子学生の熱い視線の的だった。
3年後、海軍兵学校を卒業すると、全員が少尉候補者となり、
練習艦隊に乗務し、艦隊の実務訓練が終わると、正式に海軍少尉
として海軍に配属された。
一方、陸軍のエリートコースが陸軍士官学校である。明治7年
東京の市ヶ谷に設立された陸軍士官学校は「陸士」と呼ばれた。
受験できるのは陸軍幼年学校卒業生、現役下士官から選抜された
者、旧制中学4年生程度の学力を有するものとされており、ここ
に合格することは、天下の秀才であると証明されたようなものだ
った。
陸士の制服は陸軍兵士と同様のスタイルで、やや泥臭かった
ため、いまいち人気はなかったが、卒業生は陸軍の中枢として
活躍するエリートコースを約束されていた。