▼4 敗者バルチック艦隊提督のその後は | ぐーすけとりきのブログ

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 明治維新後の日本が、世界に羽ばたこうとしていた時代、
日清戦争のあとにおきたのが日露戦争である。その日露戦争
の最終決戦は、対馬沖での日本海海戦。


 明治38年(1905)ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡
を北上してきた。艦隊を率いるのは司令長官ロジェストウェ
ンスキー中将。これを迎え撃つのは東郷平八郎率いる連合艦隊
で、戦闘は、世界の海戦史上でも有名な丁字戦法によって日本
の圧倒的勝利に終わった。


 この海戦でロジェストウェンスキー長官は重症を負った。そ
して追跡してきた駆逐艦に捕らえられる。


 日本側では捕虜となったロジェストウェンスキーを佐世保の
海軍病院に収容して看護し、東郷長官が見舞った。このとき
東郷はロジェストウェンスキーと握手し「勝敗は武人の常です
恥ずべきものではありません。一日も早く全快されることを
祈ります」と語っている。


 その後、日露講和条約が調印され、捕虜にも早期帰国が
許された。


 翌年、ペテルブルグの海軍省で軍事法廷が開かれたが、ロジェ
ストウェンスキー提督は「意識不明に陥っていた」として責任
は問われなかった。ただ、提督に対して世論は厳しかった。また
部下に対するひどい態度が暴露された。


 ついに、海軍省の査問委員会はこれらの証言を取り上げ
「ロジェストウェンスキー提督の敗戦責任は問わないが、官位
を剥奪し軍籍追放する」という処置をとった。ロジェストウェン
スキーは帰国した時に大将に昇進したが、すぐに海軍から追放
され、失意のうちに61歳で病死した。