芦原英幸正伝 男が男に惚れるとはこういうことだ | ぐーすけとりきのブログ

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「月刊空手道」は芦原英幸の特集を組むと、飛ぶように売れた。

それはひとえに編集者である小島一志氏の尽力によるものであった。


しかし、小島氏は、横領をしたという根も葉もないことを理由に

会社(福昌社)を退職せざるをえなくなった。


芦原は「月刊空手道」と契約していると思ってた福昌社社長中村氏は

さっそく芦原に電話をかけた。

さっそく、芦原から小島氏に電話が入る。

「わしが取材を許可したのは福昌堂でもない

「月刊空手道」でもない、小島だけなんよ。

どんな理由があろうがワシは小島に取材許可をしたんじゃけえ。

小島が辞めたら一切「月刊空手道」にもなんもでんよ。


中村(福昌社社長)っちゅう変なジジイから電話があった。

かしこまって、ああいうのを慇懃無礼って言うんよ。

頭をペコペコしながら散々、小島、お前のことをけなしよった。

今度松山に来るっちゅうんよ。なんでですか?

ワシが聞いたら「ご挨拶にお伺いしたい」だと。

ワシ言ったよ、「芦原はご挨拶したくありません。

何度松山に来られても、ワシはあんたとは会わんけん」と。


小島のことやから、今度自分で会社でもやるんやろ?

どっちにしても人間詰まるところは銭よ。

金がないと何偉そうなこと言っても通用せんけん。

独りでやっていくにせよ、奥さんとやっていくにせよ、

誰とやっていくにせよ、銭は必要じゃけん。

小島、銭あるか?


やっと私は口を挟むことができたが、ただ「なんとかなります」

としか言えなかった。

何故なら、当時、自由になる金は、メディア8(ビデオ制作会社)

から振り込まれた60万円のみだったからだ。


「小島、だいたい何か新しく始めようと思えば300万必要になるけん。

300万ないと上手くいかんというのが定説になっちょるんよ。

もしお前が300万揃わんて言うなら、ワシが出しちゃる。

300万でも500万でも、1000万でも出しちゃる、現金でな。

銭が必要やったら親に相談する前に、銀行に行く前に

金貸しに行く前に、親類縁者に行く前に、必ずワシに言え。

とりあえず300万送ろうか?」


私は必死に断った


「ワシ本気でいってるんよ。そんでなあ、小島約束するけん。

お前に1000万貸そうが、1円たりとも利子なんて取らんよ。

ワシは金貸しやないけえ、1円も利子はいらん。

証文も一切書かん。それにな、ワシのために何かせえとか、

そんなことも絶対頼まんけん。

小島という男を信じてワシは言っちょるんよ。

ホンマ、お前一人でやっていけるんやな?

なんとか他人に頼らず銭回せるんやな?」


私はぶっきらぼうに電話を切る芦原に向かって

受話器越しに頭を下げた。


土日をはさんだ翌週の火曜日、芦原から一通の

配達証明郵便が届いた。

恐る恐る封を切ると、なかには300万の数字が書かれ、

幾つもの印鑑や判が押された小切手が入っていた。


私はすぐさま受話器を手にした。私の声を聞いて、

芦原は素知らぬふうを粧って言った。

「小島社長、社長さんは小切手の現金化、どうやるかしっちょりますか?

知らん方にはこの芦原がその極意を教授して差し上げますが」


私が何を言っても芦原は乗ってこない。「返金する」という言葉が

タブーであるのはわかっている。

またどれほど言葉を尽くしても、心に値する感謝ができるとも思わない。

わたしは、大きな声で「ありがとうございます」とだけ言った


その後、私は妻と相談し埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)に

口座を作り300万円を預けた。

「このお金には絶対に手をつけない。

もし最後の最後、どうしようも亡くなった時以外は。

そしていつの日か月日が流れ、私がかすかな成功を

手にした時にはなんらかの形でお返ししよう」

私はこう誓った。