新渡戸稲造の「武士道」は日露戦争を勝利に導いた | ぐーすけとりきのブログ

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明治32年、38歳のとき

新渡戸は療養のためカリフォルニアに

滞在していた。

それは外国から日本を見つめ直す

絶好の機会だったのだろう

アメリカからこの本を出版した。

日本語訳としては、明治41年に桜井鴎村訳が

出版されている。


「武士道」は処版刊行以来、絶大な賞賛とともに、

新生日本の姿を知ろうとする欧米で多くの読者を魅了した。

アメリカ、イギリス、ドイツ、ポーランド、ノルウェー、フランス

中国でも出版され、いち早く世界的なベストセラーとなって

新渡戸稲造の名も世界中に知られることになるのだ。


アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトはこの本を読んで

大変感動し、家族や友人に配ったと言われている。

それ以来ルーズベルトはすっかり日本びいきになり、

そのおかげで、5年後の日露戦争終結の時には、

ハーバードで同窓だった金子堅太郎(伊藤博文の秘書官)から

日露講和条約の調停役を頼まれると

「私は貴国のことはよく知らないが、「ブシドー」はよく知っている。

 あの崇高な精神を持った国ならば、及ばずながら協力したい」

とこころよくその役を引き受けたといわれている。


日露戦争は、あと一ヶ月も戦っていれば日本が

負けただろうというのが歴史の定説だから、

いわば、新渡戸のこの「武士道」が

救ってくれたとも言えなくもない。

事実、岩波版「武士道」の邦訳者である

矢内原忠雄(元東大総長・新渡戸の愛弟子)は

「序」において、

「その功績、三軍の将に匹敵する」

と絶賛している。