あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願い致します。
お正月は、ゆっくりと時が流れているようです。ありがたい。しっかりと充電しよう。
さて、今年最初に、書きたい!と思ったこと。それは、気づけば一瞬で変わる!ということ。
まさに先程、起こったことなのです。
新年を迎えるにあたり波動を軽くしたい、しよう、と思えば思うほど、ネガティブな感情が心の奥でうずいているのに、気がついてしまいました。
どうやって、この心を立て直そう…?
まずは、認めよう。残念だけど私、今、ネガティブだ。お義母さんと、お義姉さんに、劣等感を刺激されて。そうだ、それを感じるのを、まずは認めよう。そういう自分を許そう。嫌な気持ちでいる自分を嫌がっている自分で、良い。ややこしいが、ようするに、どうあっても、可、。
そして、お風呂で、水の力で祓い清めよう。
それから、感情を重たい球にして、転がそう。風を通して、深呼吸〜〜〜
と、そこまでしたら、徐々に新しい思いが頭に浮かび始めて、
そうか!そうだ!だからだ!嬉しい!
と、そこからはトントン拍子に、一瞬にして、明るい方向へ、心が向いたのでした!
わぁ、心って、面白い。
今や、感謝の気持ちまで湧いてきた!気づかせてくれてありがとう、劣等感。
2日の昨日、実家に新年の挨拶に帰りました。姉一家と父母と、楽しい団らんの時を過ごし、仲睦まじくあれることを、心から嬉しく思いました。
そして、母の姿をみて、あらためて、私は母をお手本に、生きていこうと、思ったのです。とっても安心するのです。こんなに安心感を与えてくれる人って、他にいません。
義母や義姉も、とても素晴らしい方です。でも高度な何かを求められているようで、何だか不安が湧いてくるのです。劣等感もわいてきます。
それは、私の中にその波動があるからだ、ともいえますが、それはごもっともですが、今日の気づきはそれとはまた別で、
どんなに高度な技でも、相手に劣等感や不安を与えるならば、神様ではない。逆に、どんなに力及ばずでも、安心感や喜びを与えるならば、それは神様である、ということ。
私は、力及ばずの事がしょっちゅうで、その度に、劣等感にさいなまれていました。
でも、そんなことは関係なく、心をこめて、安心感と暖かい思いさえあれば、それが最高、だったのです!
だから、お義姉さんの食事の準備を、楽しもう!(これが心の重い一番の原因でした。)
ありがとう!階段を1段あがりました。