一年前の明日(5月30日)は、おじいちゃんの御命日。二浪に入った娘のみっちゃんの気分転換にと、箕面の滝までハイキングに行った帰りに、訃報が入ったのでした。


箕面の滝



滝まで散歩道が整備されています。



道中見つけた、野いちごと珍しい花。



そういうわけで、今日は、一周忌と、納骨を同時に行うという、強行軍でした。



おばあちゃんが、老骨に鞭打って走り回り、今日の日の準備をして下さいました。



そして、3人のお姉さん達が、機転を利かしてお手伝いして下さり、私の役目は、全く、ありませんでした。



きっと以前の私なら、自分を恥じたり責めたり、役に立って認めてもらおうと躍起になったりしていたと思います。



ですが、ゴールデンウィークを経て得た学びから、よし今日もあの調子で、私は私のままでリラックスしていよう、と決意して臨んだら、今思い返すととても美しい一日として、心に刻まれていることに気が付きました。



行程の最中には、ハラハラしたりズーンときたりも、あるにはあったのですが。



終わり良ければ全て良し。後で何が引っかかったのか、振り返ってみます。



さて、今日の行事の事が心の奥にあったからか、なかなかブログを書く気が起きなかったのですが、数日前に読んだあるブログで、書きたい事が湧いてきました。



♪愛って、何だ?♫
♪ためらわないこーとーさー♬



という歌がありましたが(きっと誰も知らないよね。「宇宙刑事ギャバン」の主題歌なんだそう。夫が昔の懐かしい曲を聴くので、大人になってから知りました。)



果たしてどうなんでしょうか?



愛って、何だ?



ちなみに2番は、♪悔やまないこーとーさー♬
です。



少し長いけど、シャンタンさんのブログ『覚醒のひかり』から以下転載↓

あなたは誰をも愛することはできません。

バガヴァン

自己(self)は錯覚を生じさせます。 自己は本当には存在しません。

単に感覚器官の協調により発生したものです。

いろいろな心理的要素がそれを創り出しています。

それ自身の存在はありません。

常に、あなたはあなたがいると推測しているでしょう。

あなたはあなたがいると強く感じています。

それは、誰かがあなたを愛するときに起こります。

あたかも、あなたはあなたが居るように感じています。

そうすると、あなたは必要とされているように思います。

それは、大きな安心感と心地良さをあなたに与えます。

だから、あなたは愛を渇望するのです。

『あなた自身が愛だ』ということを発見しさえすれば、

あなたは、もう愛を乞うことはなくなります。

あなたがこれまで話してきた愛は、ただ愛を乞うているだけです。

ただ、愛を乞い続けていただけです。

もう、愛を乞うことはなくなります。

でも、この本当の愛を発見すると、あなたはただ愛を与えるようになります。

本当の愛を持つと言うことは、ほとんど悟ることと同じです。

あなたが悟るとあなたはそこにいません。

あなたがそこに居なく、あるのはただ愛だけです。

こうなると、あなたは愛を乞いません。

でも、まだそれが起こっていないうちは、不安や恐怖があります。

しかし、瞬間毎に自己は壊れ続けています。

そのため、それは何かを所有しなければなりません。

この土地は私のだ。

私はこの学位を持っている。

私はこの仕事を持っている。

私はこの事業を持っている。

私はこの名前を持っている。

私はこの名声を持っている。

これらのすべてがあなたを強化します。

だから、あなたは、これらをほしがっています。

これらの中で、一番強い強化は愛です。

誰かがあなたを愛している。

誰かがあなたのことを思ってくれている。

それが、あなたの存在の維持を助けます。

だから、あなたは常にそれらを追い求めます。

その人があなたより良い人を見つけた瞬間、あなたは終わりです。

それは、あなたがもう必要とされていなく、

それによりあなたの崩壊が始まるということです。

最近新聞にハーバードの学生が恋に落ちたとか、

それで相手の女性がそれに応じなかったので

殺してしまったとか書いてありましたね。

私の信望者の中にさえも、以前にこのダルマを見つける前に、

そういう人たちがたくさんいました。

ある人を好きになり、相手がそれに応じないと殺してしまいます。

または、悪態をつきます。それって、どんな愛なのでしょう。

あなたは、『彼女は世界で一番すばらしい人です。

彼女を愛しています。』

と言っていたのに、彼女が他の人が好きだと言った瞬間に殺してしまいます。

あなたは彼女が自分より良い相手を見つけたことをお祝いするのではなく…

あなたはそんな風にはしませんね。

『あなたが誰かを愛している』というとき、

それは『あなたがあなた自身を愛している』ということです。

じゃあ、このような愛とはいったいなんでしょう。

『あなたが誰かを愛している』というとき、それは

『あなたがあなた自身を愛している』ということです。

ただそれだけなのです。

あなたは決して誰をも愛することはできません。

そんなことがどうしてできますか。

あなたはあなた自身を愛することしかできません。

それで、あなたは『私はあなたをとても愛しています。』と言います。

また、『私は彼らをとても愛しています。』と言います。

これは、『私は私自身をとっても愛しています。』ということです。

『私が生存するのにたくさんの愛が必要です。』ということです。

そうしなければ、私は消えてしまいます。

私はそれを非難しているわけではありません。

ただ、状況を説明しているだけです。

私は皆さんに『恋に落ちてはいけない』とか、

『無になって完全に安心しなさい。』とか

そんなことを言っているわけではまったくありません。

私は、『それが人生の真実です。だから、どうぞ、おやりください。』

と言っているのです。

それは別に害ではありません。

私自身『私はこの人と結婚したい。』とか

『私はあの人と結婚したい。』

とか言う人に、いつも完全に祝福を与えて帰します。

このように、その人のレベルに合わせて

私たちは機能しなくてはなりません。




〜転載終了〜




インドの聖者は、謎なことを言われます。




これを初めて読んで、




???




どういうことだ???




と、全く理解できませんでした。




でも、ハーバード大学の学生さんの話がショッキングだったのと、何か身につまされるものを感じて、何度も読み返してみました。




何となくわかったのは、




私が今まで “愛” と思ってきたものは、本当の愛ではなかったようだ、ということです。今の私のレベルでの、愛の理解だったんだ。




これは愛だ、と思っていた矢先に、何かのきっかけで、怒りに変わり、それがゆくゆくは怖れの状態を生み出してしまう、ということを、何度繰り返してきた事でしょう。




つまり、私は、安心感を得るために、愛を乞うていただけだったのです。




神様にも、家族にも、仕事で出会う人にも、通りすがりの見知らぬ人にも。




そこで安心感を得て満足していたけれど、これは、いずれは崩れ去る、もろくはかないものだったのだ!




では、どうすれば、本当の愛を持つことができるのか?




私自身が愛だと、発見すること。

私とあなたは一つだと、理解すること。

自己はないことを、知ること。




愛を、乞わずに、与えるだけ。




そんなふうになれたら…。




誰に対しても、あなたは私、と思ってリラックスしていられる。




たとえ相手が天皇陛下でも。

ボロをまとったホームレスのおじさんでも。

辛い病気を抱えている人でも。

テンションの高いファンキーな人でも。

心の澄んだ女神様のような人でも。

キラキラに輝くゴージャスな女優さんでも。

頭のツルツルの893さんでも。

何でもマルチにこなす超才女でも。

機転の利かないボーッとしたバイト君でも。

ネガティブな言葉ばかり発する怒った人でも。

レプタリアンでも。

宇宙人でも。




誰に対しても変わらない、愛を与えるだけの私でありたいものだ…




愛って、何だ?と聞かれたら、




あなたと私が一つであることだ!