先日書いた“アルフレッド・パーソンズ”さんが彦根天寧寺に滞在していたのが、



今から125年前の、ちょうど6月初旬だったと分かり、驚きました。



20日間の滞在で、6月18日に旅立ったそうなので、まさに今の時期!この季節に、彦根の様々な美しい自然を描いたのです。



白黒でしか見られないのですが、この様な絵がありました。






天寧寺の裏山の斜面に、16羅漢の石像が座っています!不思議な光景~!神秘的!カラーで見たい。



今もこのまま残っているのだろうか?



どこかで読んだ気がするのだけど、この裏山は、明治時代にはこの様に、松とつつじの風通しの良い明るい山だったのが、徐々に広葉樹林化して、鬱蒼とした山となった…とのこと。



実際、行ってみればすぐに解決するのでしょうけど、まだなかなか直ぐには動けないでいます。



この羅漢さん以外にも、500羅漢さんが安置されているそうです。



(以下“たびねす”より転記)

文政11(1828)年建立されたのが井伊直弼の父・直中ゆかりの天寧寺です。

直中は相手の判らぬ子を宿した腰元を不義により手打ちにしました。ところが、その子の父親が自分の息子と分かり、自分の過失を認めます。そこで、腰元と初孫の菩提を弔うために創建したといわれるのがこの寺です。そして、京都の仏師を招いて五百羅漢像を彫らせました。

五百羅漢像は「亡き親、子供、愛しい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」と言われるほど、必ず自分の探し求める人の顔があるといいます。じっくりとその顔を覗いてみましょう。

(転記終了)



見ごたえありそうですね!



また、彦根インター出口の近くにあるお蕎麦屋さんが、とても美味しいらしいのです。車で行くなら寄ってみたい。



そして、その名も“金亀(こんき)庵”!



このように彦根には、金亀公園、金亀山など、”金亀”がつけられている場所が多いようです。



不思議に思い調べてみたら、次の説を見つけました。



・彦根城が建っている金亀山は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)が金の亀に乗って降りられた場所で、これが彦根の地名の由来にもなっています。


・釈金亀は和州の人で、出家後江州彦根に来て草庵を結び、止観を修した。その地を金亀山と称す。




どちらが本当かはわかりませんが、興味深いです。また新たなキーワード、“天津彦根命”も出てきました。



ほとんど一般的にその存在を知られていない金亀和尚さんのことを、こうして関心を持って調べ、明らかにしていくことは、なぜか楽しいです。私自身、“金亀和尚”のことを、“きんかめおしょう”だとずっと思ってきたのでした。



インターネットのお陰で知ることが出来ました。ありがとう、インターネット。またよろしくお願いします!



同じくあまり知られていないアルフレッド・パーソンズさんのことや、新たな関心の出た天津彦根命さまのことなども、これから調べていこうと思います。




~追記~
先程、天津彦根命の事を調べていたら、偶然、大江先生のブログに行き着いて、こう書かれていました。(以下転記。)


滋賀県彦根市は、天照大神とオオミヤヒメミチコの御子神、活津彦根命(イクツヒコネノミコト)が由来です。 天津彦根命(アマツヒコネノミコト)は天照大神とハヤアキツヒメの御子神です。