[骨折] 肘頭骨折 観血的整復固定術(長文) | 1950

1950

1950年生まれの生き方 / 粋肩 / 息過多 / 逝き方




5/9(日)
16:00 外泊から病院に戻った。
18:10 夕食
TVカードを買っておいたが、あまり見る気にもならず。
6人部屋で、向かいのベッドの3人は
オオシマ・ヒロシさん、フクシマさん、オギシマさん。
他人の名前を呼ばれるたびに反応してしまう僕。

0:00前に地下のコンビニで買ったSOYJOYを1本。
以後は、明日正午まで、水、お茶、ポカリのみ摂取可。
術前の点滴はないとのこと。
従ってここは、やはりポカリでしょう。多少はカロリー補給になる。

5/10(月)
連休明けで手術室も混んでおり、僕の手術は「午後の2番目」というだけで、時間の設定がない。
担当ナースの「個人的予想」としては「15:00ごろかな」。
正午に最後の水分補給をして、あとはひたすら呼ばれるのを待つ。
午前の手術が伸びたらしく、ようやく午後の1番目が呼ばれたのが14:30。
腹が減り、のどが渇く。

17時、ナースが「悪いお知らせです」とやってきた。
ドキッ・・・ま、まさか、今日は中止とか?
そういうわけではなかった。
水分を絶って予定以上の時間が過ぎてしまったので、脱水症状防止のため、点滴の指示が出てしまったとのこと。
18時過ぎるかも、と長期戦を覚悟したら、ようやく17:30の呼び出し。

点滴のスタンドをガラガラ押しながら、手術室に向かう。
家族と別れて、手術室ゾーンに入り、腕輪のバーコードをピピッとスキャンして、病棟ナースから手術室ナースに引渡し完了。

外来や病棟のナースは全員大きなマスクをしているので、名札と体型(笑)でしか識別できないけど、このとき僕を受け取ったナースは顔出し。
「朝から晩まで生死と戦ってます」みたいな、年齢不詳のいい面構えの人だった。
不安が少し軽くなる。

全身麻酔の前に、左腕のブロック麻酔。
脇の下の皮膚の部分麻酔をしたあと、エコーをみながら、麻酔薬を注入。担当している麻酔医に、誰かが指導する声が
「も少し上、両側に静脈があるから注意。そうそう。こう、1本指で支えると安定するだろ? うん、今入ってる」
聞こえると怖い。

その後、ようやく全身麻酔へ。
マスクをあてられ、数回深呼吸すれば、もう意識断絶。
これは、20代のとき甲状腺の手術で経験済み。


なんだか広い部屋で大勢の人ががやがやしている。
うるさく僕の名前を呼ぶ人がいる。
うるさい!
もっと静かにできないのか!
ああ、うるさい。ほっといてくれ・・・

と、麻酔から醒めたことに気がついた。

麻酔の残りのせいか、点滴に混入してある麻薬のせいか、手術ゾーンから出るまで僕はペラペラしゃべりまくり。
自分でもおかしいと思うほど。
先ほどの顔出しナースにも
「今日は混んでて大変だったですね」と話しかけると
「私は、まだこれからもう1本あるんです」。

時計を見ると20時。
手術の所要時間は約1時間と聞いていた家族は、えらく気をもんだらしいが、前後の処置を入れればそんなもんでしょう。
担当した医師の説明によれば、実際の手術時間は50分。
「きれいにできましたよ」。
ま、上手か下手か素人には分からないから、信頼するしかありませんけど。

さあ、これからがリカバリルームで地獄の一夜だ。
骨に穴をあけて針金を通したのだから、痛みを覚悟。
ブロック麻酔のおかげで、術後、数時間はそれほどでもなかったが、深夜0時ごろから容赦ない痛みが本格化。

医師の処方は、状況に応じて、ナースが点滴の量や種類を調整するようになっているので、痛みの程度についてナースに伝えなくてはならない。
「0から5で表すと、今いくつぐらいですか」と尋ねられる。
「5は、涙が出そうな痛みです」と説明されると、
男子たるもの「5」とは言いにくい。
それに今後の悪化に備えて「5」はリザーブしておきたい(笑)。
とりあえず「4」にしておく。

患部に冷却パックをあて、投与中の点滴を一時的に大量放出したり、あらたな点滴を追加したりしながら、「切り札」の「5」は使うことなく、ようやく朝を迎えた。

隣のベッドの84歳のご婦人が、勝手に点滴の管を抜いたり、傷口のガーゼをはがしたり、何かをガシャーンとひっくりかえしたり、「痛い! 痛い! 痛いのよ!」と騒ぎが続いたおかげで退屈せず。

5/11(火)

朝食から、すぐに普通食。
痛み止めの内服開始。

午後の回診で、「明日退院」を告げられる。
最近は早いと聞いてはいたが、こんなに早いとは。

骨折は僕にとっては一大事だが、ここでは軽傷の部類。
隣の男性は、骨折して人工股関節を入れる手術を待ってもう1週間。
ようやく手術日が木曜日に決まったらしい。

この日入ってきた若者はバイク事故で、片足、片手、鎖骨、頬骨を折っている。木曜日のMRI検査待ちで手術の日程も決まらない。

僕はまだかなり痛いし、腕はパンパン、手はグローブみたいだが、連休がらみのタイミングなのに、受傷後1週間で手術してもらえたのはラッキーと言わねばなるまい。

傷口は、縫い目に幅広のセロテープ(みたいな)と防水シート(?)を貼っただけ。2週間後の抜糸まで消毒も不要とのこと。
鏡に写してみると、縫い目もかなり見えて、結構グロ(笑)。

いままでギプスや包帯で厚く保護していた患部が急に無防備になって怖い感じだ。

痛みはしつこいが、この日はただ時間が過ぎるの待つのみ。


入院時に病棟に入って最初にビックリしたのが、ナースセンターのナースが全員PCを操作していたこと。

検温や回診時も、無線LANつきPCを乗せたカートとともにやってくる。
測定値はその場で入力。
医師の指示もすべてネット経由のようだ。

あんなものをガラガラ押して回るかわりに、各ベッドの足元側にに端末をつけとけばいいのにと思った。
そして、診療に必要なとき以外はクルリと回すと、患者がネットやゲームで遊べるとか、
画面のメニューでオーダーすると、地下のコンビニから飲み物やおやつを届けてくれるとか、


居酒屋じゃないって!

5/12(水)

朝までは深夜勤のナースが担当。
「くしまさん、昨日はだいぶ痛がってたけど、どうですか?」

名札を見ると、Mちゃんじゃないか。
「昨日」というのは術後の夜のことだ。
地獄の一夜をともに戦った同志。
僕は痛みと。彼女は点滴を抜くおばあちゃんと。

連続夜勤お疲れ様。
入院するたびに、ナースはよく働くなあと頭が下がる。

10時退院・・のはずが、なかなか精算完了の呼び出しがない。
またも待ちぼうけ。
10:30、ようやく会計完了。

帰宅して、さっそく会社に連絡したり、保険の書類を記入したりしていたら、元気が出てきて、明日にも出勤できそうな気がしてきたが、夕方になると急にグッタリ。
まだムリと自覚。

5/13(木)
まだ入院しているつもりで、朝からダラダラと過ごす。
ドラマを見たり、うたた寝したり。

こんな長文、よく右手だけで打てたものだ。
われながら感心。