15年前の3月11日は、金曜日だった。
その後も、大きな災害はあったので、だんだん記憶が薄れてくるが、過去の日記をベースに思い出してみる、
その日、木場の10階建てのビルの9階で普通に仕事をしていた。
ゆさっと来たあと、容赦なく続くさらに大きな揺れはこれまで体験したことのないもので、
「ビルが潰れて死んじゃうのかな」
と、マジにおびえた。
机の引き出しは飛び出し、
書類は床に散乱し、
パソコンラックからプリンタが転落し、
給茶機が倒れて水浸しになり、
冷蔵庫がオフィスの床を滑走した。

金曜日はいつも仕事を終えたら、バスで、錦糸町のメガロスに監督エアロのレッスンを受けに行くのが楽しみだった。
「でも、交通機関が乱れたら、行けないかもな」
と心配しているうちに、クラブのホームページに営業中止の告知が出た。
・・・ガッカリ。
「ホワイトデーのクッキーが無駄になったなぁ」
そんな、能天気なことを思っていた。
このときは、被害の大きさも認識できず、その後に起こる原発事故のことなど思いもしなかったのだ。
電車は少しずつ動き出したが、僕の乗る京浜急行は早々と運休を決めたことを知る。
他にも帰れない人が多数。
半数ぐらいの人が、オフィスで夜を明かした。
職場近くのヨーカドーに出かけたが、おにぎり、弁当、パンの類はもちろん売り切れ。
かろうじて、ペヤングの焼きそばをゲットして腹を満たした。
ジムに行くために持っていたバスタオルをオフィスの床に敷いて寝る。
職場にテレビはないし、セキュリティの関係で、インターネットも使えなかったけど、携帯のワンセグで衝撃的な映像が次々飛び込んでくる。
事態の深刻さが分かってきた。
仙台にいる妹とは、なかなか連絡がとれない。
ようやく夜になって、メールの返信があった。
とりあえず生きているのが分かっただけで、詳細は不明。
後で聞いたことだが、停電のため携帯の充電もままならなかったようだ。
月曜日になれば交通も元に戻るのかと思っていたら、原発事故、そして計画停電。
電車も止まったり間引いたりされて、駅は人であふれかえった。

あれから15年。
明日は、今日の続きとは限らない。
世界は、いい方向に変化しているのでしょうか?








