人って、
「恐れ・危険ベース」で生きてるか
「安心・安全ベース」で生きているか
これだけで幸不幸が決まってきます。
は?そんなの
与えられた環境や条件に
よっても違うでしょ?
貧乏な人は?病気の人は?
って思った人は、
最後まで読んでちょ。
「恐れ」がメンタルのベースにあると
カラダは
「危険に対処するためのモード」に入ります。
カンタンに言えば
「いつもビクビクしている」
ということです。
ビクビクしていると
危険に備えていつも
「外敵」がいないか
「脅威」がないかばかり
情報を収集します。
すると、
自分の周りの10人中9人の人が
優しい言葉や態度で接してくれていても
1人の人が、アナタになんか嫌なことを
言ってき(たと感じ)たら、
どうしてもその「外敵」「脅威」に
目や耳が行ってしまいます。
で他の人から
「そんな人ほっとけばいいよー」
と言われても、
自分にとって「脅威」なので
その人と戦ってなんとか変えよう、
もしくはその人に
気に入られるように振る舞おうとして
「恐れ」⇒「安全」を手に入れなきゃ!
ということばかりに
力を注いでしまいます。
気がつけばアナタは
付き合いたくもない
怖い敵(らしき人)や
環境を変えることばかりに
時間も労力も注いでしまい
【不幸】としか感じられない
環境や人間関係を手に入れます。
これが不幸の仕組み。
え、じゃあ
さっきの貧乏とか病気、
シンドい環境とかは?
って話は、
貧乏も病気も=「不便」 ではあるが
貧乏も病気も=「不幸」 ではない。
貧乏にも病気も
どんな人だってなり得る。
しかし
心が「安心・安全ベース」の人は、
貧乏も病気も、
乗り越える勇気を手に入れられる。
だって
ココロが「安心・安全」ベースにあれば
一時的に貧乏、病気で
「恐れ・危険」を感じても
「なんとかなるか」
「きっとダイジョブ」
「自分なら乗り越えられる」
と思えるから。
これは【不幸】ではなく
【不便】だけど【希望】のある状態なのです。
でもココロが「恐れ・危険」ベースにいると
そんな勇気は湧いてこない
自分の未来を【悲観的】にしか捉えられなく
なってしまい、
「もうダメだ」
「私にはムリ」
「怖い怖い」
とより「恐れ」を増していってしまい
その境遇から抜けられなくなってしまう。
幸せも不幸も、
環境や条件でなるのではない
心が
「恐れ・危険」ベースにあるのか
「安心・安全」ベースであるのか
それだけが決めています。
で、さっきから
「ベース」
って言葉を使っているのですが、
誰もが、どんな素晴らしい人でも
どんな聖人君主でも
ずっと「安心・安全」にいるわけではなくて
「恐れ・危険」は誰にでもある。
でも、ココロの「ベース」が
どちらにあるのかという話。
じゃあなんで
「恐れ・危険」ベースになったのか?
それは、自分のベース(土台)を
作り上げた、幼少期の体験。
幼少期にベース(土台)を
「危険に備える」ように作ってしまった人は
ずーっと
「恐れ・危険」とともにあるのです。
だから
環境や条件よりもなによりも
「恐れ・危険」ベース
のココロを
つまり
「こわいこわい」言ってる自分の中の小さい子を
「こわいねー」
「こわかったねー」
「気づかなくてごめんね」
「外ばかり見ててごめんね」
「こわいなら、いっぱい泣いていいよ」
「一緒にいてあげるからね」
「もうダイジョブだよ」
「こわいけど、少しずつ歩いて行こうね」
「安心・安全」を感じられるように
【育て直し】する必要があるのです。
不幸は自分のココロが決める
幸せも自分のココロが決める
でもそのためには
ビクビクしているベース(土台)を整え、
てあげる必要がある。
その土台が「自己肯定感」(^ω^)
「自己肯定感」とは
「自分に安心・安全」を感じている感覚のことです。
「ネガティブ感情」と仲良くなれる本(^ω^)
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