さてさて。
月日の流れは早いもので、既に新年ではなく、今年、とすっかり、身体に馴染んでしまいました本年。
年初の誓いは、手垢にまみれた手帳の何処へ。。。
2月にやろうと思った事はほぼ実現せぬまま、別の事が目白押しにて間もなく2月も走り去ろうとしております。反省。決意。軌道修正。
年初に立てた誓いがあるからこそ、軌道からズレた時に気付けるというのは、よい事。迷子にならずに済むのです。

ところで。
私、魚はどれほど自分勝手なのでしょう。先程も紹介致しました、手垢にまみれた手帳。そろそろ付き合いも八年近くになるのではないでしょうか??
革で作られた表はヨレヨレ。所々色もハゲてしまってますが、替える気になれず。風が吹けば桶屋が儲かる。
往々にして、世の中とはつまらぬ事が繋がっているもの。
魚が手帳の表を取り替えないということは、クルリクルリと巡る通貨の流れが悪くなるということで、通貨の流れが悪くなるということは、経済が低迷するということで、経済が低迷するということは、仕事がなくなるということで、仕事がなくなるということは魚の懐が寂しくなるということで、魚の懐が寂しいということは、手帳の表が何時までたっても替わらぬということで。。。
ぬぅ。不思議な因果。これでは、結局、魚は何時までたっても、手帳の表ひとつ替えれぬということに。
魚はモノとの付き合いが永いのでして。服に致しましても、長いものですと五年、六年と着続けているものもありまして。流行なんてなんのその。魚はもっと大きな流れに乗っているのです、とうそぶきながら。
着物なんかも祖父のモノを頂戴しまして、その、活躍ぶりや世紀を超えるのではないでしょうか?!
いや、いや。しかし。
世の中の様々なモノが形を変えて、魚の手元に来るわけで。手帳なんかも元々は、牛。財布なんかは、豚。着物なんかは蚕。服なんかは、木綿と化学と先人の結晶。
そうしますと、永く付き合うに越したことはないではないですか。
もとは命振り絞って生きてた方々なのですから。
魚の場合は、永く使うばかりで、扱いが丁寧ではないのですけれども。。。ぐぐぐ。

そんな事を考えながら、珈琲を飲んでいましたら、横から聞こえるウン百万の鞄を買っただの、ウン十万の靴を買う予定だの、景気のいい話。

うん、魚が参加しなくても経済はしっかり回ってる。くるりくるり、と。
仲間外れの疎外感。
思い違いの恥ずかしさ。

手帳の表を撫でて、もぉ~、と鳴いてみる。

もぉ~。