猫が亡くなった。
2018年6月23日(土)24時頃永眠。
三毛猫、メス。約15歳と半年。名前はくるみ。
主な飼い主は半同居している伯母だが、伯母が飼う猫はどれもこれも「くるみ」と命名してしまうため、これは何代目のくるみなのか正直分かっていない(汗)。3代目か4代目くらい??
先代くるみは、元々は我が家で「ミル」と呼んで飼っていたが、気づいたら伯母がメインで飼うようになっていて、強引にくるみと呼ぶようになった。
でも、亡くなってからは今代くるみと混同するため「ミル」と呼んでいる。訳わからん。
先代くるみが亡くなったのは、確か自分がテレビゲームのためにレーシック手術を受けた直後だったので、2001年8月下旬頃か。
身体のあちこちを末期のがんに侵され、患部から血が噴き出すこともあり、誰が見てもどうにもならない状態となったとき、賛否両論はあるかもしれないが、病院で安楽死さてもらった。
自他ともに認める猫狂いの伯母は、これも今のご時世は賛否両論あるかもしれないが、しばらくは庭に遊びに来る野良猫たちにエサをあげたりして糊口をしのいでいたが、やはり我慢できなくなり、先代くるみが逝ってから約一年半後の2003年2月頃、大和市かどこかの動物愛護施設を里親として訪れた。
そこにいたのが今代くるみだった。
このくるみは本当に手がかからなかった。
終生大きなケガもなく、病気にもかからず、先代くるみのようにノミが湧きやすい体質でもなく、今飼っている犬のようにアレルギーで食べられる食材が制限されるわけでもない。
ついでに言うと、引き取られた時点でまだ生後2ヶ月くらいだったと思うが、避妊手術も済ませていた。
そして、人懐っこかった。
庭の草むらの中でバッタや蝶を追いかけて一人でキャッキャしているときに縁側から呼ぶと、草むらからひょこっと顔を出してニャーとか言いながら近づいてくる。
ここまでサービス満点な対応は、自分はもちろん猫を何匹と見てきた母や伯母にとっても初めてで、みんなが虜になるのにそう時間はかからなかった。
「尻尾の長い三毛メス」という容姿と性別も、伯母的にはツボだった。
先代くるみが「尻尾の長い白黒メス」で、同時期にいたもう一匹のくるみが「尻尾の短い三毛メス」だったので、伯母にとっては「天国にいた二匹が一つになって戻ってきてくれた」と大層お気に入りだった。
くるみ側も、そうした伯母の愛情に応えるかのように、ひたすら懐いた。
伯母が朝の清掃パートで外出しているときは、毎日のように「ママー、どこー?」と言わんばかりにニャーニャー鳴いて敷地中を探し回った。
伯母が家の前の道路を掃き掃除するときは、必ず近くでうろちょろしていた。
そうした「怪我なし・病気なし・ごはんと愛情たっぷり」という申し分ない(はず)の環境だったので、正直もっと長生きしてくれるかと思っていたが、まぁ、こればっかりは仕方がない。
去年くらいからか、自分が会いに行ってもだんだん反応が淡白になり、今年に入ってからくらいだろうか、場所を選ばず粗相をするようになった。
そして、猫が最期に姿をくらますという習性のためか、二か月近く前に一度失踪した。
そのときは、翌日か二日後くらいに敷地内の目立たない場所にうずくまっているのを保護されたが、歩くのも精いっぱいの状態にも関わらず、数日後にまた失踪。今度は一週間ほど帰ってこず、家族全員あきらめていた。
一週間か8日くらい経った5月20日、近所の生協の職員さんが保護&貼り紙してくれており、再び奇跡的な生還を果たした。
この職員さんは、保護だけでなく病院にも連れて行ってくれ、本当に感謝の言葉もない。「職務中にやったことなのでお礼は受け取れない」と言っているらしいが、何とかお礼できないかと今もモヤモヤしている。
二度目の強制送還を食らったくるみだったが、すでに歩くことはできず、以後は寝たきり生活になる。
伯母は、二時間に一度くらい食べ物や水を口に持って行ってやり、食事の補助や下の世話を甲斐甲斐しく続けた。
そして、一度は回復する兆候も見せたがやはりダメで、昨晩、静かに息を引き取った。
自分はその時立ち会ったわけではないが、犬がよく言われるように、「息を引き取るまさにその時に鳴く」のは、猫も同じと言うのを初めて知った。
医学知識のない我々が見る限りでは、特に苦しんだ様子もなく、老衰と言ってもいいくらいの安らかな最期だった。
80近い伯母は、体力的にも猫を飼うのはこれで最後と決めているようで、そうした自分に対するけじめもあってか、一か月以上がんばって十分過ぎる看取り方をした。
今日初めてお会いした人がいて、その人も猫を過去に何度か飼ったことがあるそうだが、いわく、失踪したままにさせてあげたかったと。つまりは、「最後は潔く姿をくらます」という猫なりの矜持を尊重したかったのだという。
初対面の癖に何を遠慮なく言ってんだと怒る人もいるかも知れないが、自分としては意外なくらい冷静で、なるほどそういう考え方もあるかと感心すらした。
なので、先述の十分すぎる看取り方というのはある意味エゴなのかもしれない。
ただそれでも、大好きなお母さんの腕の中で逝けたこと、猫にとってはベストではないかもしれないが、「くるみ」にとってはベストだったと思いたい。
亡骸は、自分の外出中に家族が庭のミカンの木の下に手厚く葬った。
死後に対面した時は、来る時が来てしまったか・・・という冷静な気持ちが大きかったが、埋葬されたとメールが来たときはお別れの実感が一気に押し寄せ、電車の中で危うくナイアガラ状態になるところだった。
こんな図体のでかいオッサンが目や鼻を幾度となく拭っていたので、隣のお姉さんはちょっと引いていた。
ほっとけwwwwwwwww
くるみにしてあげられることはもう無くなったが、上述の職員さんへのお礼の悪あがきとか伯母のケアとか、やることはまだある。
とりあえず、伯母には今まで撮り貯めたくるみの写真をアルバムにしてあげるのと、労いを込めて美味しいものでも食べに連れて行こうと思う。
「ペットロス」なんかにはさせないぞ!!

くるみ、我が家に来てくれて本当にありがとう。
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ありがとう。また逢えるよね。 ペットロス 心の相談室
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