ほわりどう

ほわりどう

脳内劇場研究家(脱出担当)
10人10通りの「脳内劇場」
過去の経験から書かれた古い脚本で、一人で苦しむのはもうおしまい。
頭の中の「劇」を紐解き、軽やかに脱出するサポートをしています。

こんにちは

ほわりどうです

 

GW終わりましたね。

楽しく過ごせたでしょうか。

 

前回に続き

褒め言葉を受け取れない

違うパターンのことを

書いてみようと思います。


 

褒められたとき

素直に喜べない人。

「ありがとう」じゃなくて

まず疑うやつ。

なんで褒めてくるんだろう。

お世辞でしょ。

何か下心あるんじゃないの。

褒め言葉を受け取る前に

推測できる裏をめっちゃ考えちゃって

シャッター閉めるやつ。

 

ちょっと待って。

 

あなたは芸能人?

インフルエンサー?

ものすごくお金持ち?

社会的に地位のある人?

いや、地域に影響力のある人でもいい。

お世辞を言っておくと

おいしいおこぼれがもらえるような

立場の人ですか?


 

お世辞を言っても

別に何も起こらないなら

その人は本当に

あなたの素晴らしいところを

褒めたかっただけなんですよ。

 

でも受け取るのが怖いんですよね。

間に受けたら

あとで痛いことが起こるんじゃないかって

想像しちゃう。

調子に乗るんじゃないって

内側から声が聞こえてくる。

なんなら

お世辞であってくれ

くらい思ってるかもしれない。

そしたら受け取らなくていいから。

 

これ、疑り深い性格とかじゃなくて

喜んで心を開いたら負け

みたいな方程式が

どこかに刷り込まれてる劇場が

展開されてるだけなんです。

 

あとで痛い目に遭うのも

怖すぎるって

疑う気持ちが強すぎて

とりあえず受け取らないように

しちゃうこともある。

 

でもそれは

過去のあなたを守るために

出来上がったシステムで

たぶん今は

使わなくていいシステム。

 

勇気は必要だけど

受け取ることで

違う世界が見えてくる

かもしれない。

 

あなたの脳内にも

疑り深い人、いますか?🎭

 

あ、でもね

あなたに何か買って欲しい人や

何か下心がある人も

褒めてくるから

そんなものは受け取るなニヤリ

 

こんな場合のイメージ図


こんにちは 

週一更新がままならず
またも慌てております
ほわりどうですガーン

GW真っ只中ですね
いかがお過ごしですか?


ところで
褒められたとき 素直に
「ありがとう」って言えますか?

私、長いことこれが苦手でした。
「そんなことないです」
「いや全然」
「まさか、私なんて」
気づいたら打ち消してる。
反射的に。

褒めてくれた人に
どうしても「ありがとう」
と言えずに否定感
強い言葉を返しちゃう。

いろんな人にたくさん
「受け取って!」と言われました😭
なんでだろうって
内側を探ると私の脳内では
こんな劇場が上映されてた。

褒められる=危険、の劇場

有能な人、目立つ人って
叩かれたり、生意気って
思われたりするじゃないですか。
だから無意識に 
「私はダメな人」の
ポジションにいたいんです。

居続けようとしてた。
褒められるとその場所には
いられなくなるので怖かったんだと思う。
謙遜してるつもりが 実は自分を守るための
劇場だったわけです。

しかも厄介なのが
打ち消してる本人は
「謙遜してるだけ」
って思いたがるのね。

褒められるようなこと
できてないです!
恐れ多いです!
とんでもないです!
ぐらいの勢いで反射的に
否定しちゃうこともあるので

褒めてくれた人に
失礼なことをしてるって
全然気づいてない。
私もそうだった。

これ、性格とかじゃなくて 
「褒められたら危ない」という
脳内劇場が上映されてるだけ。
そしてこの劇場
構造を理解しながら
じわじわと時間をかけて
変えて行けるものだったりします。

私もいろいろ取り組んで行って
ある時期から 「ありがとう」と
するっと出るようになってきて
相手の言葉を受け取れるようになってきました。

これはまだ、時々顔を出すので
反射的に「いえいえそんな」って
いう事もあるんだけど
すぐに気づいて
「ありがとう!」って
言い直せるようになってきています。

褒められる嬉しさも
だんだん味わえるようになりました照れ

あなたは褒められたとき どうしてますか?


褒め言葉なんて聞きませんことよ的な笑

こんにちは

 

ほわりどうです

 

長期記事の投稿が完遂できてほっとしているところです

パートナーシップ講座のスタッフ業でバタバタしていて

週1更新がすでに危うい😂

 

今日は「真実」という言葉について

個人的に思っていることを書いてみます。


 

とある講座で

物事は事実と解釈で捉えられるという

ことを学びました。

 

たとえば

ちょっと気になる人が自分と目が合ったときに

目を逸らされた とか

挨拶しなかった とか

 

まあちょっと不安になるような態度だったとき

あなたはどう感じますか?

 

どうしたのかな?

あれ、私なんかしたかな

私嫌われてる?

 

みたいなことが出てくること

あると思います。

 

これらが「解釈」で

「事実」は

目が合ったけど表情が変わらなかった

あるいは

目が合ったけど挨拶しなかった

 

ということだけ。

それ以上でもそれ以下でもないんですけども

 

なぜか人ってそこに

意味付けしたくなっちゃうんですよね

「事実」は起きたこと。

「解釈」はそこにつけた意味。

 

この解釈って、

言い換えるとその人にとっての

「真実」なんですよね。

 

そしてそれが「事実」みたいに

思ってしまうことがよくあるんです。

 

気になる人がそっけなかった

「私のことよく思ってないんだ、嫌われてるんだ」

 

というのは、こう思う方の真実で

本当は違うかもしれません。

 

体調が悪かった

考え事をしていた

 

そんなようなことかもしれないのです

なので

その人の真実を確認してみる

といいと思うのです

 

あなたが不機嫌に見えてるんだけど、

私何かしたかな?

と思ってるんだけど合ってる?

 

みたいな聞き方ができると

 

「あれっ、そうみえた?考え事してたんだよ」

 

みたいに思っていることと

違う返事が返ってくることは

よくあるんです。

 

まあ、思っていても

「そうだよ」とはなかなか言わないとは思いますが

そんなこと思ってなかったのにそう思われていたら、

心外だとは思うでしょう。

多分、「こうだったんだよ」って

話をしてくれると思うんですよね。

 

 

 

ここには自分と相手の真実が

2つ存在していることになります。

 

自分の「真実」と相手の「真実」を

真ん中に置いてみると

人間関係のすれ違いがだいぶ緩和されてくると思うのです。

 

関係を大事にしたいと思う人とは

大事な事柄になるほど聞くのが怖いと思うので

どんな答えが返ってきてもいいような事柄を

気楽に聞いてみると違う景色があるかもしれません

 

この猫様はどんなふうに見えますか?😊

 

黒歴史編 最終回です。

だいぶ長編になってしまいましたてへぺろ

 

 

  気づいたら足抜け

 

 

Nさんからは1度手紙が届いた。

 

 

内容も既に覚えていないけれど

たぶん会って話そうみたいなことが

書いてあったのだと思う。

 

 

私は1度都内まで出向いてNさんに

会った記憶がある。

手紙のやり取りでそうなったはず。

 

 

会った時のことも1部分しか

覚えておらず

今振り返ってみると

うっすら

またサロンに通って学んで欲しい

みたいな話もあったような気もする。

どう返事をしたのかも思い出せない。

 

 

私が覚えているのは

彼の左手の薬指に光る指輪に気づいて

婚約者がいることを知った事。

 

 

そうなのかあ、と思い

どんな人なんですかと聞いた時に

彼は

「うーん、彼女は…違うんですよ」

とはにかむというか照れるというか

そんなような幸せ溢れる笑みを見せて

つぶやいたので

ほんとに好きなんだなあ、と

思ったことくらいだった。

(この言葉と表情だけはすごく覚えてるんだよね)

 

 

この時のNさんはきっと

ご自身の結婚のことや人生のことで

いっぱいだったのかもしれない。

 

別に私にわざわざ会ってまで

仲間でいて欲しいみたいな熱意が

あるわけではない感じを私は

受けたのだろう。

 

 

せっかく来るようになった

しかもだいぶチョロそうな人材を

逃したくなかったのか

サロン内で誰かが彼に連絡をして

説得するようになんて話が

あったのかもしれない

 

 

その指示に従ったまでで

事実、サロンに行ってほしいという

話はあったような気もするけど

ちょろっと会って

ノロケ的な話をされ

(自分が話題を振ったことは棚上げしてます笑)

説得されるかっつーの。

 

ねえ。

拗らせ劇場を展開してる

小娘を舐めんなって感じなんですよ笑

 

あんたなんかもう婚約者さんと

ラブラブで幸せで

私のことなんかどうなったって

別に構わないんでしょ

 

おいしいこと言ってたって

結局私のことなんか置いていくんでしょ!

 

そんな人の言うことなんか

聞かないもんね!


 

と言うあたりが

多分私の本音だったと思う。

当時は全く言語化できてないけど


 

あんたのいないサロンなんか

1ミリも面白くないんだわ

いまさらあの場所に行ったって

私にはなんのメリットもないんですよー!

 

どこかでは思っていたんだと思う。

 

私が自覚なくそれくらいNさんに

懐いていたとも言えるので

彼はきっと何か純粋な部分を多く

残していたのだろうと思う。

 

彼の言葉だけが私に伝わって

他の人のそれは何も入らなかったのは

なぜかを考えてみると


 

なんとなく目が怖いとか

張り付いたような笑顔とか

そう感じる人たちが

優しげな言葉を言っていても

どこか気持ち悪さがあるのを

私は感じていたのだと思う。

誰かからもらった手紙も

当時はもんやりした感情でしか

感知できなかったけど

一言で言えば「あざといなあ」

って感じ。

 

 

Nさんは

笑顔は笑顔だったし

言葉と雰囲気がずれたような

感じもしなかったし

そんなところに

私は安心感を感じていたかもしれない。

 

 

だからこそ、

のちに会った時に

彼はもはや婚約者さんしか眼中になく

私はモブ的存在だというのもよく

伝わったのだろう。

 

 

一抹の寂しさを伴いながら

その日を境に

私は完全にこのサロンに関わるのをやめた。


 

この団体がどんなものだったかを

全く知ることなく。

 

 

 

あしあとあしあと

この団体の名称を知ったのは

 

その数年後に

テレビが突如一斉に話題にし始めた時だった。

近年でも大きなニュースになる事件があり

なのでお察しする方もいるかな。

 

いろんなことがテレビの話題となり

かつて私が体験したことが

信者を勧誘するための方法だと知った。

 

印鑑を売る団体と

聖書を勉強する団体の大元が

実は同じだったというのも

この時知った

 

 

それを知って本当に驚いたし

同時に、私はNさんを思い出した。

 

彼が話していた

その婚約者さんというのは

おそらく団体の教祖が選んで決めた人

なんだよね。

(そういうシステムのあるところだった)

 

だから特別で彼女は「違う」と

言っていたのだなと後から理解した。

一般的に恋愛をして

「めっちゃ好きだから!他の人と違うから!」

と言っているのだと私は解釈していたけど

ベースが全然違ってた😭

 

それはそれで呆然としちゃったけど

そして

あの時の離れ方は

私にとってはとても手痛い

ことだったけど

ある意味本当に

幸運な訣別だったのだと知った。

 

 

お陰で

さまざまに取り沙汰されていた

信者となった人たちの修行?なのか

徳を積むためのあれこれを

体験しなくて済んだ。

 

 

Nさんゆえにこの団体に

足を突っ込みかけたというのに

Nさんゆえに

関わらずに済んだという。


 

この頃の私は

本当にネガティブな劇場を

頭の中で繰り広げてはいたけど

それはそれで私を守る盾となっていた不思議。

 

生きているって面白いよね。


 

この他にも

街頭キャッチセールスで健康食品買わされたとか

電話で呼び出されて出向いたところで

何かを買わされるとか

まあまあな商法にことごとくかかって

その度に彼氏に怒られまくり

(本当に懲りてない)

その助けもあってギリギリで

被害からすり抜けるという

20代前半だったのだけど


 

こうなっちゃうベースは

いつも「自分がない」からだった

 

人の話の方が正しい

人の勧めるものならいいかもしれない

強く出られると断れない

 

となりがちで

しかも

そこに「私はどうなのか」が

全く入っていないのと

恒常的に感じている孤独感から

「私にかまってくれる」という

エッセンスが入り込んで

 

……いやほんとうに危なっかしいね!私!笑

ガーンガーンガーン

 

この頃の私の脳内劇場を

心理的に見ると

父性への執着

孤独感からの回避

つながりを求める気持ち

 

そういう気持ちを持ちながら

いくつもの劇場が同時に動いていた。

 

それが私を守ることにもなっていたので

ネガティブな思考や感情って

必ずしも悪者じゃないとは思う。

 

ただ。

そもそもこんな劇場を

上演しなくて済む人生の方が

ずっと楽だったよなあとも思う。

 

気持ちの乱高下でめっちゃ忙しいからさ😂

 

危なっかしい体験を重ねながら

生き延びた20代の私がいて

今こうして

脳内劇場研究家をやることに

つながってはいるので

無駄じゃなかったとは思います。

 

そんなこんなのあれこれも活かして

お役に立てたらいいなと思っています。

誰もがやらかすし(私ほどじゃないと思うけど!)

誰もがこの脳内劇場は日々展開しているから。

 

脳内劇場、自分ストーリーは

一つの夢からもう一つの夢に

移行するようなもので

ここから完全には抜けられないのです。

 

良き方向に向かう脳内劇場を

作っていきましょう

 

長いお話にお付き合いくださって

ありがとうございました🍀

 

 

続きです。

印鑑からまさかの聖書の勉強会

(ぶっちゃけ私もなんでも興味持ちすぎというか!)

 

 

  あなたも仲間になりませんか?

 

 

そのサロンに通ったのは

おそらく2ヶ月なかったと思う。

 

週に1、2回くらいのペースで

5、6回通ったくらいで

合宿に来ないかと

声をかけられた。

2泊3日か3泊4日くらいの。

 

 

「みんなで勉強もするけど

レクリエーションもあって楽しいよ」

 

みたいな感じだったが

合宿なんてとんでもない!

 

ただでさえ、人といる時は緊張しているのに

知らない人と何泊もするなんて

無理無理無理無理!!!!!!!

絶対無理!

なので速攻で断ったと思う。

 

 

私の様子でダメだと思ったのか

次の機会を待つことにしたのか

軽く打診されただけでその時は終わった。

 

 

もしこれに参加していたら

もう少し深みにハマる確率が

高くなったのだろうが

私の対人恐怖的なメンタルが

功を奏していたとしか笑

 

 

それからすぐに

近くでホームパーティーがあるから

参加しないかとまた声をかけられた。

 

Nさんも来るというその一言で

私はそのパーティーに参加した。

 

 

ここもまた

参加した人の様子だとか

どんな話をしたのかだとかは

ほとんど覚えていないのだけど

 

中盤か終盤になって

Nさんが異動する話になり

推測するにこの会は

つまり送別会のようなものだったのでは

ないかと思っている。

 

〇〇支部から〇〇支部に行くことに

なりましたみたいな事を言っていたような。

 

最初からそのことは話題に出ていたのか

その時まで明かされなかったのかは

もはやどうでもいい話なんだけど

そのことを知らないまま参加していた私には

青天の霹靂の話で

とてもショックを受けてしまった。

 

そのあたりからぼんやり残っている

記憶をたどると

照れ臭そうに祝福される(栄転?)Nさんを

呆然と見ていたような気がする。

 

このサロンの中で

唯一安心して話せる人がいなくなってしまう。

 

なぜか強烈に

置いて行かれるんだみたいな

感覚があって

盛り上がる会場をよそに

たぶん何か理由をつけてそこを出た。

 

 

Nさんがいなくなることが

とても悲しくて

どうしようもない感情を持て余して

私は泣きながら夜の駅前を歩いた。

 

 

 

当時の私には

こんな時に話のできるような

友達はいなくて

そもそも誰かに話そうという発想もなく

ひたすら感情に振り回されながら

家に帰るしかなかった。

 

そういえば彼氏(夫)に話すという

発想も出てこなかったなあ

また怒られるとかいいこと言われない

という一面もあって

それで言わなかったのだと思う。

(この頃はケンカもめちゃくちゃしてたので)

 

 

私がいなくなっても

Nさんは別に何も気にすることなく

その場にいた人たちの祝福を受けて

なんなら

私がいないことすら気づいて

いないかもしれなかった。

 

私は誰からも必要とされないし

私を気にかける人などいないのだとか

私に優しい言葉をかけてくれる人は

いなくなってしまうのだとか

(しつこいですが当時の彼氏は優しくないのよ!)

 

当時言語化まではできていないけど

そんなような寂寥感のような

やっぱりねという諦めのような

取り残されたような

寂しさと痛みに支配されて

数日を過ごしたんだと思う。

 

このことで、私は急速にこの勉強会への

興味を失くしてサロンへも行かなくなった。


 

Nさんの中に私がみていたものは親の影で

実父からもらえなかった父性的なものを

もらいたかったのじゃないかと

思うのだけれども

無意識に期待していたものを

見事に打ち砕かれて

私はそこでまたさらに

人への不信感を積み上げたかもしれない。

 

 

その後、

おそらくサロンの中にいた人

数人から手紙が来たりしていた

 

向こうは私を見知っていたのか

妹のように感じるとかなんとか

書いてあって

要はまたサロンに来ませんか

仲間として活動しませんかという誘い

だったのだけども

 

そもそも誰だよこの人?

顔も知らないけど!?

とやさぐれていて

私には何も響かず言葉は空虚でしかなかった。

 

 

すべて無視していた。


 

とはいえ、これは真の神様かご先祖さまか

宇宙の采配かとにかく私を守るための

荒療治的な流れでもあった。

 

 


あしあとあしあと

脳内劇場がフル稼働しているのが

おわかりいただけるかと笑

続きます。

次回は最終回

(気づいたら○○)