くさまです。

 

ゴールデンウィーク、平成と令和をまたぐ10連休に突入しましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 

4月には私も含め前半と後半の統一地方選挙が終わり、メディアの関心は7月の参議院選挙に移っていますが、統一地方選挙が終わった総括として、やはり今回の選挙から地方議会選挙でも法定ビラを配れるようになったことは大きかったと思います。

 

2016年の8月にローカル・マニフェスト推進地方議員連盟の共同代表に就任し、地方議員法定ビラ解禁プロジェクトを任され、多くの皆さんのご協力で、2017年6月に法改正まで漕ぎつけることができました。マニフェスト議連としては12年来の悲願達成でした。

 

横浜市会はじめ、多くの議会で公職選挙法改正の意見書を挙げていただき、各党要望もさせていただきましたが、当時は地方の自民党の中でも意見が分かれ、厳しい状況のところ、最後は当時、自民党の選挙制度調査会長だった逢沢一郎先生と事務局長だった福田先生に頑張っていただきました。

 

多くの皆さんに配布をご協力いただきました。

 

僕の場合は政令市議に認められた8000枚のうち、2000枚を新聞折り込み、6000枚は街頭配布に回しましたが、最後街頭で足りなくなってしまいました。

 

ポスターと街頭演説(ほぼ聞いていないし、耳に入らない)、枠がせまい選挙公報、そして選挙カーの名前の連呼だけで政策選挙をやろうとするほうが無理がありました。

 

今回、大変うれしかったことの1つが、街頭演説の最中「安倍じゃだめだ安倍じゃ」と絡んできた方に、ボランティアの方がビラを渡していただき、何分後かに「こういうことだったらいいんだよ、まさにこういうことなんだよ」とビラを読んで返ってきてくださったことでした。

 

僕の今回のビラは、街頭で話している2期8年で取り組んだことを分かりやすく書いたものでした。街頭演説や選挙公報で2期8年何を取り組んできたか有権者に伝えるのは無理がありますが、A4裏表のスペースなら、それ以上のものが伝えられます。

 

政党も重要な要素ですが、それ以上に、皆さんが選ぶ議員が何を取り組んだのか、また、何を取り組もうとしているのか、こういったことを少しでも伝えられた選挙だったと思います。

 

恐らく、全国でこういったことを実感した候補者が多かったろうと思います。

 

ビラを解禁した議員として取材は1件も来ませんでしたが、各党や候補者から苦情も1件も来ませんでしたし、このことを知っている全国の議員からは、やっぱり解禁してよかった、ありがとう、と多くの声を頂きました。

 

今回、僕のビラには「僕が解禁しました」とは一切書きませんでしたが、2期8年取り組んできたものの中でも、法改正まで至った今回のビラ解禁は、僕の人生の中でも大きな取り組みの1つでした。

 

恩師である北川正恭先生に、少しの恩返しができたかなと。