くさまです。
この春も、春休みを利用して、大学生インターンが事務所に来ています。
今回は男2人女1人、みんな東海大学高輪高校のSSH(スーパーサイエンススクール)出身の東海大学理系2年生です。
さっそくテクニカルショウヨコハマに行ってきてもらいました。
理系3人は初めての受け入れで、話を聞くと、色んな議員のウェブサイトを見て、僕がやってる水素エネルギー政策に吸い寄せられてきたということで、水素もやるもんだなと思いました。
ということで、まず早速くさまインターン必修の不審船博物館(海上保安資料館横浜)にも自分たちで行ってもらいました。
今回は理系女子、Yさんの感想です↓
<<<<<<<<<
「ふしんせん」と聞いて正しく漢字変換できる人はどれだけいるだろう。
かく言う私も初めて聞いたときは「不信選」と全く見当違いな漢字変換をしてしまった一人である。
いざ漢字変換してみると「不審船」と出てくる。なるほど、いまいちわからない。
不審な船。一体何が不審なのだろうか?と疑問は尽きない。
その疑問を解決するために不審船があると言う海上保安資料館横浜館に行った。
建物に入ってまず見えたのは錆びて弾痕が生々しい船。
なるほどこれが不審船かと独り言つ。
それを横目に受付で案内をお願いする。
係りの方が丁寧に1つずつ説明してくださる。
不審船がどこで発見されたのか、弾痕の意味、なぜ錆びだらけで一部の形が歪んでいるのか。私は一通りの説明を聞き、ゾッとした。
日本の船だと偽ろうとしていたこと、多くの重火器と予備の銃弾が残っていたこと、最終的に自爆と思われる行為をしたこと、このような事件があったのにも関わらず何も知らなかった自分に。
2001年当時私はまだ3歳で不審船のことを理解しろと言うのは到底無理な話である。
しかし、年を重ね世の中のことがわかる歳になっても全く知らないと言うのはいかがなものかと私自身は思った。
ニュースや新聞などを読む機会はあった。
それでも不審船と言う単語を見かけたことがなかった。
その理由が係の方の説明でわかった。
それは、2001年の事件以降不審船の影が減ったからである。海上保安庁による巡回、設備の向上などの努力の結果不審船の影が減ったのだ。
私は、不審船の実物を見て、ニュースを詳しく知ろう、そして海上保安庁のことについてもっと調べようと決めた。