くさまです。

 

昨日はあいにくの雨でしたが、センター南秋祭り、また、センター北と南を結ぶ「みなきたウォーク」で、子育て地蔵祭りが開催されました。

 

子育て地蔵祭りでは、都筑の図書館を愛する皆さんが自分たちでつくった「つづきブックカフェ」という名の改造キャンピングカーが停まっていました。

 

思いっきりキャンピングカー。

 

中は結構広い。

 

この車を運営している、僕もよく知ってる方にお話を聞いたら、「くさまさん、これはね、私たちの執念なのよ。図書館行政全く進まないじゃない(1区1館原則が続いていること)。だから、もう私たちがやるしかないと思って」と。

 

僕が8年前に都筑区に来てびっくりしたのは、都筑図書館には市民によるつづき図書館ファン倶楽部というものがあって、2000年からずっと活動をされていて、人生を図書館や図書に捧げている市民の方の多さでした。

 

ちなみに横浜市では学校司書制度の導入や、議会では読書条例が議員立法されましたが、それらを後押しした中心メンバーも、都筑の図書館関係者の皆さんです。

 

僕は本を読むことは嫌いではありませんでしたが、人がいっぱいいる区の図書館は集中できないので苦手で、小学校から大学までほとんど行きませんでした。大学院の時は大学の図書館にこもりましたが、そこまで図書館行政に関心があるわけではありませんでした。

 

議員になってからも、都筑区の図書館関係者の皆さんとの意見交換を様々行ってます。皆さんが熱心ですので、そういったタウンミーティングにも参加させていただくのですが、いつも議論され、僕も大変関心があるのは図書館の意義です。

 

ペーパーレスなICT時代になぜ図書館なのか、司書機能はAIでいいのではないか、TSUTAYA図書館のほうが人も来るし、面白いのではないか。

 

特にIT技術の進化は、僕らの読書そのものの文化を変えていますし、手のひらサイズのスマホに電子書籍が何千冊と保管できる時代に、なぜ税金を使って図書館というインフラを抱えなければならないのか。スマホでいいじゃないかという人もいます。

 

そんな問題提起に対して、すっきり明解な答えを僕はまだ周りから聞いていません。

 

本を買えない人たちのためだけの施設なのか。その側面は確かにありますが、図書館で豊かさを感じている人たちの多くは生活に困っているような感じでもありません。

 

合理的に考えれば図書館ってどうなのよと思う方もいるかもしれませんが、僕が今まで議員をやってきて感じた空気は、数は別として、図書館の存在を否定する「地域住民」にはほぼ会ったことがないということです。

 

確かに作家の方で1人、図書館が民業圧迫だという方がいましたが、そういった業態の話ではなく、地域に暮らす中で、図書館を否定する住民には会ったことがありません。

 

総論的な話でいえば、上記のような図書館に対する問題提起が成り立つ世の中ですが、それでもなお、地域の中ではニーズがあり続ける。これは住民のサービスエゴなのでしょうか。いえ、そんな感じでもないと思います。

 

漠然としていますが、僕は、この、人として暮らす中での図書館の意義について、人の知の欲求、知の豊かさを求める人の行いに大変関心があります

 

動物園や水族館もわくわくしますが、1区に1つは動物園をという議論を僕は聞いたことがありません。

 

また、なぜネット時代でも都筑図書館の利用冊数は伸びているのか。利用者はこれだけ多いのか。

 

僕の3か月になる娘は、テレビも観ますが、本のほうが好きで、満足するまで繰り返して読まないと泣きます。中身はわからないだろうに、テレビのほうが鮮やかで動きもあるのに、なぜ本のほうがいいのか。

 

図書館は深いです。

 

「つづきブックカフェ」を見ながら、図書館について考えていました。