嶋村先生と初めて直接お会いしたのは、2010年9月の暑い日でした。

 

市会議員を引退されることが決まっていた、当時議長の大久保純男先生と、僕がその後継者というかたちで、自民党公認の支部推薦のお願いに、都筑区支部連合会長(現在も)の嶋村先生のご自宅にご挨拶に伺った時でした。

 

当時僕は28歳。先生は70歳。当時8期32年目。議長は勿論、全国議長会の会長も経験され、まさに横浜自民党のドンとしてのイメージしかありませんでしたが、直接お会いした時も、当時は僕は相当緊張していて、大変厳しい印象しかありませんでした。

 

議員を辞めたら食っていけるのか?」先生からのこの質問だけは鮮明に覚えています。いきなり怖いなと当時は正直思いましたが、その数年後、議員として活動していく中でようやくその意味が実感としてよく分かりました。このとき先生が確認したかったのは、「金の為に議員(政治家)をやるな」ということだったと思います。

 

大変失礼な表現ですが、ご経歴や見た目だけだと、本当に「ドン」の権化のような方でしたが、先生にお会いして、僕が今まで議員をやらせていただいた中で、地方議員、国会議員問わず、先生ほど私利私欲で動かず、筋を通す議員は会ったことがありません。

 

先生と同じ選挙を戦わせていただき、40歳以上差がある議会の最年長と最年少として同じ横浜市会議員として仕事をさせていただいた1期4年間は、僕の財産でもあります。

 

生意気にも当選後初の団会議で、議会基本条例の制定をめぐり、最長老の嶋村先生に僕が意見し、大問題になりました。

 

当時の菅先生からも「お前、意見したらしいじゃないか」と言われるくらい激震を走らせてしまったのですが、この議会基本条例の特別委員長に嶋村先生が就任され、なんと僕も委員にしていただき、2年間、嶋村委員長の下で条例づくりをさせていただきました。

 

嶋村委員長の下での議会基本条例特別委員会での2年間は、僕にとって本当に大きな2年でした。

 

最初の大事件以来、同じ都筑区選出でありながら、先生とは殆ど口がきけませんでした。40歳下の若造からいきなり意見されれば、そりゃそうだと思います。

 

僕も早稲田大学マニフェスト研究所で議会改革の最前線で仕事をしていましたので、先生を古い自民党の象徴だと勝手に思っていましたし、横浜市会の改革が進まないのは古参の先生方のせいだと思ってもいました。

 

なので、先生から嫌われてもいいから、どんどん言いたいことを言おうと、当時はかなりの覚悟で委員会に臨み、無所属・共産党の有名な先生方並み、またはそれ以上の議論を当時の委員会では展開しました。

 

委員会での発言は全て委員長である嶋村先生の指名を受けないとできませんので、先生からしてみれば嫌でも僕の全ての発言を聞かなければならず、最初のほうは相当嫌な顔をされていましたが、先生はそのような中で、折に触れて、僕に、議会制度がなぜこうなっているのかという経緯を説明してくれたり、問題点を指摘してくださったりしました。

 

先生からのご指摘は、全て至極まっとうなものばかりでした。例えば、区づくり推進横浜市会議員会議という、都筑区選出の市会議員で都筑区の区づくり予算を議論する会議があるのですが、先生はそれを「無意味」だと主張されていました。

 

横浜市には区議会がなく、また、区への権限移譲を進めていくためにはなくてはならないもので、無意味なんてとんでもないと思っていましたが、よく調べてみると、会議の根拠条例や会議の権限は何もなく、単なるガス抜き会議と化していたことがわかり、先生が「無意味」といった意味が調べてようやくわかりました。

 

結果、横浜市の議会基本条例では全国で初めて、この区づくり会議を条例で位置づけ、法定会議としたのですが、先生とこうしたやり取りを数多くさせていただく中で、自分自身多くの気づきをいただき、何より、先生は僕のような下っ端の意見をよく聞いてくださり、「草間君の言う通り・・・・」ということまで言ってくださるようになりました。

 

この僕の感情論は、「先生がやっと僕の言ってることを理解してくれた」というものではなく、時代が違っても、歳が違っても、アプローチや考え方が違っても、先生が本気で横浜市会、横浜市の未来を考えていらっしゃるということが、議論を通じて僕が理解できたということからくる、先生への畏敬です。

 

先生はその時9期目。自民党というより横浜市会のドンですので、議会改革なんてなんじゃいというドンが全国の議会に多くいる中で、条例の必要性は別として、2年間真剣に議論に向き合うドンの姿に心を強く打たれましたし、例えば30年後、僕が先生と同じように向き合えるかと言ったらどうでしょう。簡単にできることじゃないと思います。

 

議員を引退してなお、先生は最後まで、都筑区のこと、横浜のこと、自民党のこと、僕らのことに真剣に向き合ってくださいました。全体を見て筋を通す。先生に教わったことは数知れません。

 

先生にはプライベートの釣りなどにも連れて行って頂きました。あれほど失礼なことをした僕を、根性あると言っていただき、議員として認めていただいていたことが、僕にとっては何よりうれしいことでした。

 

先生の急逝は本当に大きな損失です。先生の後継者である長谷川議員も様々大変だと思います。

 

僕は微力すぎますが、僕ができる最大限の範囲で、先生が大切にされていたことを大切にしていきたいと思いますし、先生に恥ずかしくない議員でずっとありたいです。

 

先生、本当にありがとうございました。