くさまです。

 

インタビューに答えるアビジャン自治区マンべ知事。

 

昨夜、23時間かけてコートジボワール共和国から羽田に戻りました。エミレーツ航空でアビジャンからドバイまで10時間、トランジット3時間、ドバイから羽田まで10時間弱。

 

席のテレビで、君の名は、三度目の殺人、おおかみこどもの雨と雪、関ヶ原、ラストレシピのほか、ゴッドファーザーⅠ~Ⅲまで観ても時間が余るくらいでした。

 

15日江田島から始まった出張日程も、山口、上海、仏山、コートジボワール・アビジャン自治区で一区切り。さすがにアビジャンで風邪ひきましたが、アビジャンで治しました。

 

アメブロでは2回に別けてアビジャン出張報告をさせていただきます。横浜市とアビジャン自治区の交流は日本の対コートジボワール外交の柱の1つになることを確信しました。

 

①アビジャン自治区にとって歴史的な訪問になった。

 

今回、僕が事務局長を務める日本アフリカ友好横浜市会議員連盟16名に加え、渡辺副市長、赤岡国際局長以下9名の職員、合計25名のデレゲーションでしたが、コートジボワールの経済首都であるアビジャン自治区として迎えた日本また世界の都市として最大のデレゲーションとなり、自治区関係者はもとより、政府そしてメディアを通じて多くの市民の皆さんに「訪問だけで」インパクトを与えることができました。

 

自治区政府の前には日本とコートジボワールの国旗が。

 

自治区政府主催歓迎式典には他市の市長、部族の首長、宗教指導者の代表も。

 

佐藤会長のスピーチ。

 

自治区政府音楽隊による歓迎。

 

紙面の一部。

 

夜のレセプション(中央がマンべ知事、左が駐コートジボワール大使、右が駐日大使)

 

レセプションでの記念撮影。

 

アフリカは踊るのが基本です。

 

テレビで観て知ったと、急遽経済インフラ大臣の日程が追加。

 

歓迎式典にはアビジャン自治区周辺の多くの市長も招待を受けており、マンべ知事のスピーチの中で「今日(市長の)皆さんに来ていただいたのは、このように日本の自治体と交流していくべきだから」ということが頭に残っています。

 

先進国はもちろん、アジア各国ではもうこういうことはないでしょうが、先方にとってみれば、僕らの訪問が歴史的な一歩になったということです。

 

②自治体間で都市課題を解決するモデルづくり

 

そして「訪問するだけ」のインパクト以上に、自治体間で都市課題を共に解決するモデルを提案することに、大きなインパクトを与えることができました。

 

横浜市とアビジャン自治区が共催で「都市課題解決セミナー」を開催しました。

 

都市課題解決セミナー。

 

横浜市からは、水道局、交通局、資源循環局の各課長から発表。

 

アビジャン自治区側のプレゼン。

 

そもそも、僕らの今回のコートジボワール訪問は、2015年に安倍総理とフランスのヴァルス首相が発出した「アフリカにおける持続可能な開発,保健及び安全のための日仏計画」(日仏アフリカ計画)に紐づいています。

 

そこでは、日仏両国は、アフリカの持続可能な都市に関する共通のイニシアティブを立ち上げ、コートジボワールのアビジャンにおける試験的協力に関し、コートジボワール当局と協議しつつ、取り組むとしています。

 

その柱の1つは、JICAがアビジャン市内で行っている50億円の無償援助で建設中の立体交差点ですが、道路インフラをつくるだけでは中国の対アフリカ支援と変わらないし、金額と量ではそのうち圧倒されます。

 

そこで、人口600万人、成長率二けたの発展著しいアビジャン自治区が今、そして今後向き合わなければならない市民に身近な水道、ごみ収集、渋滞対策などの都市課題を、それらを既に経験した日本の大都市である横浜とともに解決していくモデルづくり。それが横浜に求められている1つのミッションです。

 

このモデルは日本にとっても大変重要で、僕らでいうところの、近代水道の父パーマー(イギリス人)のような存在に、僕らがならなければならないということです。

 

昨年、横浜は近代水道130年を迎えましたが、世紀を超えてパーマーさんの偉業は僕らに伝えられています。日本そして横浜のプレゼンスを今後100年与え続けられたら、成長著しいアフリカ市場で日本の企業は大変やりやすいのではないでしょうか。

 

聞くところによると、この自治体間の課題解決モデルづくりを中国はやっていません。インフラ整備とともに、都市のソフトインフラ、そして、横浜市が世界に誇る温暖化対策、水素政策やオープンデータの取り組みなどで、2段、3段飛びの成長を促していくことも非常に重要だと思います。

 

都市課題の解決を横浜市、そして横浜や日本の企業と共に進めていく。そのための最初の関係構築としては、大成功の出張だったと考えています。

 

次回に続きます。