くさまです。

 

今日も地元をはじめ、様々なイベントや会議に参加させていただきました。

 

事務所の近くの横浜市歴史博物館では、歴博×都筑図書館×都筑区役所連携事業「図説 都筑の歴史」刊行プレイベント『都筑の江戸時代 ~お江・村絵図・相給村落~』が、2倍の抽選超満員で開催されました。

 

イベントは撮禁なので歴博前で。

 

永久保存したいレジュメ。

 

井上副館長とはこれまで何回もお話をさせていただいていますが、ちゃんと講演として話を聞くのは初めてでとても楽しみだったのですが、期待を裏切るおもしろさでした。

 

都筑とお江(家光の母)は関係あるらしい」と、僕も議員になってから幾たびか聞いていましたが、関係あるどころか、区内の村内にお江の知行地がいっぱいあったんです。

 

知行地の村の名主がお江の葬式にわざわざ呼ばれて、棺を担いだというくらいですので、現代の告別式を見ていただいてもわかるくらい、当時はそれ以上だと思いますが、どれだけ関係が深いかということです。

 

今の都筑区の範囲でいうと、荏田村も入れると都筑区には江戸時代13村あったらしいのですが、その中の川和と荏田村全域、そして池辺、東方、茅ヶ崎村の一部がお江の方の御化粧料としての知行地で、お江の方が亡くなった後は、徳川の菩提寺である増上寺領となったそうです。

 

この増上寺領になるとすごいのは、まず年貢が3割(7割は自分)ということで、当時としては破格。そして家康と秀忠とお江の方の命日である15日、17日、24日は毎月休み。また、「お江の方の由諸」ということで川の普請や検地を免除されてきたということです。

 

これ、「お江の方ありがとうございます」というとってもありがたい話だと思いますが、今の僕らに置き換えて考えてみてください。

 

例えば川和村は全て増上寺領になりましたから、他の村からは妬まれただけかもしれませんが、茅ヶ崎村は、先ほど言いましたように村の一部が増上寺領で、他に野々山さんという旗本の知行地になっていますし、池辺村は増上寺領のほかに、幕府の幕領、中根さん、木村さん、門奈さん、北村さんという旗本の知行地も入っています。

 

これを相給村落というそうですが、同じ村の中で、誰の知行地かというだけで年貢や休みや労働が違ってくるという状況になるわけです。

 

士農工商という身分制度の時代ですが、同じ農民なのに、狭い村の中でこんな格差が生じては、正直やってられないのではないでしょうか。自分のこととして考えるとかなり微妙じゃないですか??しかもそれが自分で決められるのではなく世襲していくのですから。

 

時代が変わっても人の本質は変わりませんので、そんな状況下で265年間もよくマネジメントできたなと思います。井上副館長もそこがかなり気になると話されていましたが、現代の政治家としても、そこの歴史的な感情論は無視できないファクターです。

 

この話だけではなく、村絵図もかなり面白かったのですが、どちらにしろこの企画素晴らしいです。

 

今日も抽選に外れてしまった方々が多くいらっしゃるそうですので、次回はもっと広いところでやってもいいと思います。歴博ナイスです。