くさまです。

今朝、花巻からゆいっこ号が都筑に還ってきました。2011年5月から5年ぶりの帰還です。ゆいっこ花巻代表の大桐さんと、大槌で被災され、奥様を亡くされた小田嶋さんが約10時間かけて徹夜で運んでくれました。



今夜19時からは、中川のシェアリーカフェで、ゆいっこ号帰還の報告会と打ち上げを開催させていただきました。facebookとブログでしか告知していなかったので、だれも来ないとやばいなと思っていたのですが、都筑だけでなく、神奈川区や戸塚区からも参加いただきました。









ゆいっこ花巻代表の大桐さんから、この5年間のゆいっこ号の活動とともに、ゆいっこの活動を振り返っていただき、また、5年が経つ中での復興活動の難しさ、人の感情の移り変わりなどを話していただきました。岩手のゆいっこでさえ「もう沿岸部に行って私たちができることはねえんです」と言われたときに、この難しさを感じました。


ゆいっこ花巻代表の大桐さん



大桐さんと一緒にゆいっこ号を運んでくれた小田嶋さん(66)は大槌出身で、津波で奥様を亡くされました。その後、大槌を離れ、花巻市の大沢温泉などでの避難生活を経て、今は盛岡で生活しながら車で40分かけて花巻に通って、ゆいっこ活動に参加しています。今は北上川のほとりでゆいっこ花巻が被災者の皆さんとやっている「畑っこ」でみんなで土いじりするのが楽しいということで、「じゃがいもさ300キロとれた」と僕には楽しく言ってくれましたが、ゆいっこでの活動を振り返っていただいたとき、涙を流されていました。

小田嶋さんは報告会終了後、京都に深夜バスで向かうほどタフな方で、体もでかい方なんですが、大人の男の涙はやはり重かったです。「息の長い、顔の見える復興支援」。ゆいっこは小田島さんのような1人1人の方に向き合う活動ですが、1人の生きる支えになるということのかけがえのなさを改めて感じました。

人はものごとを忘れます。3.11後のあの感情も、皆さんおそらく忘れている方々が多いと思います。残念ながら僕もその1人です。

「こういう機会を頂いて本当にありがとうございました」とお2人がそろってお礼を何度も言って下さいました。それはこっちのセリフなのですが、5年目の今の忘却感情を考えると、なにかガツンとやられた感じです。

ゆいっこカーという、1台の車。1台の軽ワゴンですが、新車だったものが5年間で6万キロ、花巻と沿岸部を往復して還ってきました。冷房は壊れ、表面もボロボロ。この車には、横浜よりも岩手のログが残っています。これだけの思いが詰まったこの1台を、僕はどうすればいいのか。正直、今悩んでいます。