くさまです。

今夏もくさま事務所には大学生がインターンに来ています。議員生活5年目でインターン生は30名弱になりますが、今でもよく過去に受け入れた学生が遊びに来たり、強制的にビラを配らされたり、イベントに参加をしています。

今日は、昨年の夏にインターンを経験した某国立大学の磯部君に、昨年の護衛艦視察を経た中で、今回、陸上自衛隊の富士総合火力演習予行に参加してもらいました↓

 
 
 

学生の立場で、「総合火力演習を見た中での安保論」について書いてもらいました。ちょっとの時間、一学生の意見に耳を傾けてください。

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昨日8月18日、縁あって富士総合火力演習(以下、総火演)の予行演習を見学することができました。総火演は普通に応募すれば29倍もの倍率の抽選を通り抜けなければ見ることができません。今回、このような機会を与えられたのはありがたいと感じています。  

小学生の頃「大戦略」というゲームをしていたので、自衛隊の装備については大体名前が分かりました。戦車の砲撃音も間近で聞くと音が衝撃となって届くのでとても感動しました。ただ、着弾地点が座っている位置からかなり遠かったので実際の爆発の威力がどれほどのものなのかはよくわかりませんでした。  

さて今回は「安保法案を絡めた総火演の感想」という要請を受けました。しかし実際に総火演に行けば「戦車すげええええええ!!」と思うばかりであり、安保法案と絡めて感想を書くことは困難でした。まるで、コンサートに行きながら音楽業界のあり方を考えるようなものです。あの演習を見て「自衛隊が他国の軍隊と比較してどれほど強いのか弱いのか」を判断できるような知識もありません。従いまして、単に私の安保法案に対する考え書かせていただきます。

8月14日の安部首相談話において「『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった」ことが「誤り」であったと述べられました。私もこの歴史感に同意します。 最近、個人的に「第二次世界大戦までに日本が道を誤ったとすればどこで誤ったのか」を考えてみたことがあります。ABCD包囲網やハル・ノート、統帥権干犯問題などいろいろな事柄がありますが、何か1つ誤りを挙げるとするならば日独伊三国同盟ではないかと考えるに至りました

1941年の日本の外交史を眺めていると、当時の日米両政府の必死の外交努力を伺うことができます。何も当時の日本人が皆狂っていたから戦争になったわけではなく、必死の調整の結果それでも戦争になってしまったという印象を受けました。

巷には「アメリカは実は日米開戦を望んでおり、そのために巧妙に日本を誘い込んだ」という風説があります。ルーズベルトがそれを望んでいたのかは分かりませんが、アメリカの国益のためにそれを望んでいた政治家や官僚はいたと考えています。それではなぜ、アメリカは日本との開戦を望んだのか。そう考えると、日独伊三国同盟が原因ではないかという考えに至りました。日米開戦によって、自動的にドイツがアメリカに宣戦布告してくることを狙ったのではないか、と。 少し陰謀論のようになってしまいましたが、日本が連合国側との良い関係を築いていれば、少なくとも敗戦国になることはなかったでしょう。  

さて「国際秩序への挑戦者」となってしまったことを反省するのであれば、日本は「国際秩序の協力者」とならなければなりません(70年談話も実はこれを暗示しているのではないかとも思っていますが)。そういうわけで、私は安保法案に賛同しています。

確かに、集団的自衛権によって他国の戦争に巻き込まれるというリスクは考えられます。しかし集団的自衛によって、日本自体が戦争に巻き込まれる可能性は低くなると考えられます

私の大学のある教授は「ドイツとの軍事同盟(≒集団的自衛権)によってWW2に巻き込まれた」と仰っていました。確かに私もドイツとの軍事同盟は結ぶべきではなかったと考えています。しかし当時の世界を見れば、連合軍もある種の同盟であり、連合軍は集団的自衛権の行使によって国土を守った、と見ることもできます。であれば、日本は負ける方についたから負けた、という結論になります。  

もちろん、単に「勝てる方に付けばいい」わけではありません。対立する2つの国家群があった場合、どちらが理念的に正しいかを私達は見極めなければなりません。理念的に誤った側に付けば、国家自体は存続しても国内が廃れてしまいます。WW2では、日本は理念的に誤っていてかつ負ける方についてしまいました。冷戦では、どちらが勝つかは分かりませんでしたが、理念的には正しい側に付くことができたと見ることができます。  

その上で現在の日本を取り巻く世界情勢を見てみれば、米日韓vs中北という構図が浮かび上がってきます。では、この対立が激化した時に勝つのはどちらでしょうか。米日韓が結束していれば、勝てると言われています。

では理念的に正しいのはどちらでしょうか。アメリカは中東への過度の介入など、責められるべき部分はあるでしょう。他方中国はウイグルでの核実験やチベット人への弾圧などの問題があります。客観的にどちらが非人道的だと言えるのかは、分かりません。ただ、私にとって徴兵制よりも日本が中国の一部になることが恐ろしいです。もしそうなれば、私達もチベット人やウイグル人のように弾圧を受けるかも知れません。私達が日常的に享受している多くの自由が奪われるかもしれません。  

憲法9条は世界に真の平和が訪れた時、輝きを放つでしょう。しかしその時まで、日本は生き残らなければなりません。そのために今、平和安全法制が必要であると考えます

余談ですが、最近SEALDsのデモに参加している方と話をする機会がありました。SEALDsは安保法案に反対するデモを主催している学生団体です。その輪の中にいると、こちらの方が正しいことをしているという気分になります。また、話をしていて感情のままに行動しているという印象を受けました(もちろん感情で動くのが悪いと言っているのではありません)。それに比較して、安保法案推進派は上記の私の論述のように、論理で攻めていく傾向があります。

論理vs感情、この構図はどこかで見たような気がします。そうです。これは夫婦げんかの構図です。とすれば、この戦い(?)には夫婦げんかを治めるテクニックが活用できるのではないでしょうか。安保法案推進派の方は、安保法案の必要性を感情的に説明してみてはいかがでしょうか。私は今度機会があればこう言ってみようと考えています。「戦争は嫌だけど、中国に占領されるのはもっと嫌だ!」  

もっとも、上記の記述はデモ参加者2人に会って考えただけなので、信ぴょう性は薄いです(笑)。敵を知り己を知れば百戦危うからず。です。敵を知るため、もっと安保法案反対派の人と会って話をしようと考えています。実のところ、これを書くまでにどうしてそれをやっておかなかったのかと後悔しています…。また、今回のこの「宿題」を書きながら、WW2のことももう少し勉強しなければいけないと思いました。

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どうでしょうか?僕は磯部君を自民党的に洗脳したつもりは全くありませんし、そもそも草間インターンのテーマは「ステレオタイプからの脱却」ですので、自分で気づいてもらう環境を提供しています。

安保論争も多事総論あって然るべきだと思いますし、それがこの国の豊かさだと思いますので、賛成も反対も聞いてもらっています。そして、海上自衛隊や陸上自衛隊など、反対派の人たちがただ反対として見ようとしない現実もしっかり見てもらいます。僕がまだまだ未熟な中ではありますが、インターン生にはあらゆることに対する「きっかけ」を全力で提供していきたいと思います。