くさまです。

今夜は神奈川新聞の花火大会で、僕は行けなかったのですが、20万人弱が桜木町に集まる中京浜東北線が停まって大丈夫でしょうか?

私事なのですが、最近寝つきが悪いので、帰って寝る前にソファーに横になりながら、NHKオンデマンドで2001年に放送された連続テレビ小説「ちゅらさん」を14年ぶりに見なおしています。

 

当時僕は19歳。大学生2年生だったので、ちょうどドラマの中のエリー(国仲涼子さん)などと年齢が重なり、実家で8時に起きた寝起きで毎日のように見ていた記憶があります。

当時は国仲涼子さんとか、小西真奈美さんとか、野球部のマネージャー役だった前原エリさんがカワイイなあとか、大学生になったんだから沖縄行きたいなあとか、ゴーヤーマン欲しいなあとか、エリーみたいに家を出てみたいなあとか、そんなことくらいしか考えてなかったのですが、

大人になって、そして議員になって改めて見てみると、ちゅらさんというドラマの中でかなり抑え目に出てくる沖縄の歴史的な背景に気づきます。

ドラマの中で、全く働かないエリーのお父さん役の堺正章さんが繰り返し、本土のことを「やまと」や「日本」と表現しているのですが、大学生当時は全く気づかなかったこの言葉遣いに含まれた意味を、今はとても考えさせられます。

4年前、第5回世界のウチナーンチュ大会という、琉球移民を先祖に持つ世界の外国人(琉系外国人)が数年に1度沖縄県に集う祭典に参加させていただいた時、ウチナーンチュという、沖縄県民というより深い琉球民族のアイデンティティに気づかされるとともに、僕ら本土の人たちを指すヤマトンチュという言葉に出会いました。また、今はヤマトンチュというよりナイチャーと表現するほうが多いそうです(差別的と指摘されています)

ウチナンチュヤマトンチュ。薩摩が琉球に侵攻してから406年。琉球処分から136年。戦後70年。沖縄返還から43年。

翁長知事が単独でアメリカに行って基地反対を訴え、中国共産党機関紙、人民日報が「尖閣のみならず、沖縄も日本の領土でない」と報道する現在、アイルランド独立運動やクルド人問題、ウクライナ問題などの世界の動きや、グローバル世界の中のローカルアイデンティティの潮流などにも乗って、沖縄・琉球のアイデンティティは、この時代において当然のように燃え上がっていると思います。

僕らは沖縄返還後の世代であり、高校の修学旅行に沖縄に行くくらい、沖縄の皆さんを自然と差別的に見ない世代に生まれたと思っていますので、歴史を何にも知らないと、知事も含めて沖縄県民は何勝手言ってるんだと思ってしまう危険性があります。

日本の安全保障の問題と、沖縄・琉球のアイデンティティを僕らが同じ日本人として尊重することは、両立できると信じていますし、必ず両立しなければならないと考えています。

今年の夏も、2回沖縄に行く予定です。スーツですが・・・