くさまです。


僕が大学生のころからずっと同じ政治の道を志していた


高橋博之元岩手県議会議員・前知事候補(38)が水産業に転職する決意をしました。


都筑のくまのルーキー日記


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昨夜、後援会解散に伴う報告会を開催し、支援者の皆様に政界から水産業に転職することを報告してきました。地元の花巻はもとより、盛岡、仙台、はたまた東京からご参加いただいた皆様、ありがとうございました。


今回の決断について、賛否両論、様々なご意見をいただきました。答えに窮し、言葉に詰まる場面もありましたが、すべてこれからの活動の糧にしていきたいと思います。


振り返ってみて、改めてこの政治という分野で働くことは大変なことだなぁと感じています。本人は当事者ですからリスクを負うのは当然のこととして、家族、そして支援者もそれ相応のリスクを負うことになります。


私の父親は地域社会の中で50年、人に世話をしたり、されたりしながら、生きてきました。そこへ突然、都会から息子が戻ってきて、前代未聞のやり方で選挙をやると言い出した。当初、両親には「恥ずかしくて外を歩けなくなるからやめてくれ」と懇願されました。私は無視しました。


花巻は田舎です。数少ない駅も乗降客はまばらなので、あちこちの交差点や田んぼで街頭演説を毎朝やりました。前例がないので、最初のころ、よく110番通報され、パトカーがやってきました。その姿を地域の人たちも見ているわけで、両親の恥ずかしさたるや相当のものだったと思います。


その内、両親も観念し、息子の活動を応援してくれるようになりました。地域の仲間、同級生のところを一軒一軒、一緒に歩き、頭を下げてくれました。そうして、地域のみなさんも少しずつ応援してくれるようになっていきました。その方々も、自分の仕事仲間や親戚に私への支援を呼びかけてくれました。また、最初、遠目で見ていた私の同級生や友人たちも、チラシ配りをしてくれるようになりました。


特定の政治家を応援することを表明するということは、リスクが伴います。例えば、会社の上司が私じゃない人を応援していた場合、その人は僕を応援することで冷や飯を食わせられる可能性があります。さらに、商売をしている人は、お客さんが減る可能性もあります。地域社会で仲良く生きてきた住民の間に、亀裂が入ることもあります。なので、若い人ほど選挙を嫌いになります。


負けると、こうしたリスクが表面化します。負けて初めて、そのことを知りました。リスクを負って応援してくれた方々にとって、私が政治から身をひくということは、言わば梯子を外されたようなものだと思います。複雑な心境で、とても申し訳なく思います。そして、今はただただ感謝の気持ちでいっぱいです。それなのになぜ辞めるのか。昨夜も何度も問いかけられました。


震災後、支援に入った大槌町の被災者から言われたことがあります。


「今の政治家には心がない。頭の中で考えるからダメなんだ。心っていうのは、頭の中じゃなく、体の中にある。だから、とにかく現場に行け。そして、まずは心で感じろ。そうすれば、何が必要かわかるはずだ」。


私はこれまで政治家の演説を聞いて、感動したことがほとんどありません。政治家は、みんなの代表です。そして、政治家の最大の武器は、言葉です。言葉でみんなの心を揺さぶることで、当事者意識に火をつけ、やる気を引き出すことができなければ、失格だと思ってきました。少なくとも、自分はそういう政治家になりたいと思ってきました。


昨年の知事選で、私は訴えました。


「これからは農山漁村にこそ希望の種をまいていかなければならない。岩手の資源である自然を最大限活用した一次産業を立派な産業にしていくために、もう一度みんなで一緒に開墾していきたい。その背中を子どもたちに見せたい。都市への依存から抜け出し、自立しなければ、誇りを持ってこの地で生きていくことはできない」。


結果、16万票いただきましたが、完敗でした。私の言葉に説得力がなかった、私の演説を聞いて心揺さぶられる人が少なかった、ということだったと思います。頭で考えてつくった言葉ではなく、心の中からわきあがってくる言葉。それは、やはり現場を見るだけでは足りず、実際に手と足を動かし、汗をかかなければ、手にすることはできないんだと気づきました。


政治がやれることは、みんながそれぞれ困りごとを解決していく上で足りないもの補い、不条理なことを取り除くことです。困りごとを解決するのは、政治家ではなく、あくまで当事者です。政治家でなくなったことで、みんながそれぞれ困っていることを解決するための手助けを直接することができなくなってしまいましたが、私自身も一次産業の現場に飛び込み、当事者として課題解決に挑みます。そして、現場から政治に向き合います。だから、みんなと同じです。


事業の経験はありません。水産業も素人です。けれども、意志あるところに道は開けるということを、二度の選挙でみなさんと証明することができました。なので、今回もあのときと同じ気持ちで、再スタートします。


一緒にがんばっていきましょう。


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このひとの最初の選挙、雪が降りしきる花巻に僕はいました。


10年前、高橋さんの背中を押した早稲田の夜 を今でもしっかり覚えています。


高橋さんは無所属で、選挙を知っている人など誰もいない中


小沢王国の鉄板選挙区で、風穴をあけようと立ち上がった高橋さん。


政党支持がなくても、小沢の支持がなくても、見事、当選しました。


それから2期目の選挙でもトップ当選。


最初の選挙で相談して書いた政策。


「水源保全条例」など、その中のいくつかは既に条例化されています。


それにしても、最初の選挙は寒い選挙でした。


後にも先にも、吹雪の中を、窓をあけた選挙カーで誰もいない大地に向かって叫ぶのは無いかもしれません。


その時、高橋さんを支えた同世代の人の中には、もうこの世にいない人もいます。


引きこもりだったその子にも、


諦めない姿勢を自分でみせることで、希望を与えました。


その選挙では、コブクロの「轍」を選挙カーで流しました。


僕らが特に好きだったフレーズがあります。


「しがらみの中をかき分けて進め


傷だらけの両手がいつか輝いて見える日まで


開いた扉通り抜けても


それじゃ強くなれやしないよ


閉じた扉叩き潰してゆこう 君の未来のほうへ」


高橋さんは、自分で閉じた扉を叩きつぶしに、


きっと政治の世界に戻ってきます。


その時まで、僕は政治の世界で頑張っていきます。