くさまです。
広島に原爆が投下されて66年。
この1年間に死亡が確認された5785人を加えた名簿が
広島市長により原爆死没者慰霊碑に納められました。
全国の被爆者は3月末現在、21万9410人。
前年から8155人亡くなったことになります。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」
繰返さぬ。と誓ったからには
後の世代の僕らの使命は、
繰返さない努力を絶やさないことです。
ただ、僕らが50代になる頃には、
体験を語れる原爆経験者はいなくなってしまいます。
正直、政治家としてはその後が怖いです。
平和はとっても脆いものです。
本当に繰り返さないようにできるのか
興味深いインタビューが新聞に掲載されていました。
原発・原爆、二度の放射能被害を体験(目のあたり)にした方々への取材です。
毎日新聞が取材したのは
「人類は完全に核を制御できていないということが今回の事故ではっきりした。
安全な技術を獲得できるまで原発の運転はやめなくては」と語る
福島県原爆被害者協議会会長の山田舜さん(85)。
1945年夏の朝。旧制高校2年生だった山田さんは熱を出して広島市の自宅で寝ていた。
突然、閃光(せんこう)と爆風が襲った。しばらく縁の下に隠れた後、屋根に上って言葉を失った。
見渡す限りの炎、炎、炎……。道路に放置された遺体の山が脳裏に焼き付いている。
原爆で焼け野原と化した広島と、避難のために一部地域から住民が消えた福島の光景が重なる。
「放射線は影響が後からじわじわと出てくる。心配なのは若い人たち。
住民の健康をきちんと行政がフォローするよう監視していくしかない」。と語っている。
読売新聞鳥取支局が取材したのは
「やはり放射能にはNOを突きつけたい」と語り
中国電力OB、自身も50歳で初めて被ばくを知った
鳥取県県原爆被害者協議会の足芝忠夫会長(85)
原発の安全神話を信じ続けてきたが、福島第一原発の事故で吹き飛んだ。
1974年運転開始の島根原発(松江市)ができる前から、会社では「原発は絶対に安全」と教わっていた。
担当ではなかったが、定年退職後に見学に行った。
交付金で地元が潤っていると聞き、OBとして誇らしくもあった。
それだけに、今年3月、福島第一原発の事故は、信じられなかった。
「頭が切り替わった。絶対に事故はあってはならない」。「原爆」と「原発」は違うとの思いはある。
また、電力会社で働いた者として、代替エネルギーが確保できるまでは原発の全面廃止はできないとも思う。
「でも、被爆者だからこそわかることがある」。
自身も放射能の影響が出たのは被爆から何十年もたってから。
「微量なら影響がないと国が言っても、実際は年月が経過しないとわからない。
誰も予測できない。原発には反対せないけん」。
広島の「原爆の日」を前にそう思うようになった。と語っています。
体験者の言葉には評論家や学者以上の力があります。
得難い説得力。
理論を超えた、人の本来の心に直接訴える
本来の幸せ・あるべきかたちに導いてくれる力があります。
体験者が亡くなった後、御用学者の言葉だけでなく
本当に正しい方向での議論が僕らにはできるのか。
今日、改めて大きな課題を突きつけられた気がします。