くさまです。
今、twitterで
「今日の都筑産1品」報告を毎日していますが
くさまは地産地消が大好きです。
人生を豊かにします。
その原点となったのが
大学院時代、その時の人生をかけて取り組んだ
「えさし地産地消推進条例」議員立法のサポートでした。
くさまが立法プロセスと立案補助を担当しました。
法的には地方議員の役割って条例制定なんです。
でも、
まっこと頭にくることに
2009年も全国の地方議会の4%の議会でしか
議員立法が行われませんでした。
僕はこの現状を打破したいのですが
原点を忘れないように、
よくこの条例づくりを振り返っています。
下記は知人の記者が書いた記事です。
出てくる佐藤邦夫議員は同じ志を持ったクラスメートでした。
■河北新報「変えよう地方議会」
カンフル剤/駄目さ一変、食育の礎
2010年1月11日
<広報誌もなし>
ほんの数年前まで、自他共に認める「駄目議会」があった。
江刺市議会は岩手県内で唯一、議会だよりを出さず、
それを恥じることもなかった。
2006年2月に周辺4市町村と合併し、現在は奥州市江刺区となっている。
「眠った議会を何とかするには、あえて高いハードルに挑むしかない」。
当時、江刺市議だった佐藤邦夫さん(62)の考えたカンフル剤が、
議会による条例づくりだった。
世帯の半数が農家という地域の特性に着目し、
制定を目指す条例は「えさし地産地消推進条例」とした。
腰の重い同僚議員を巻き込むため、
議会内に議員連盟を結成。住民に条例づくりを宣言して退路を断った。
条例の素案について意見を聴く対話集会には、1100人の住民が参加した。
「条例なんて難しいことは分からない」
と言っていたベテラン主婦たちは「食育」と聞いて目の色が変わった。
「若い母親たちが土の付いた野菜のありがたみを考える条例にしてほしい」
条例づくりは、いつの間にか議会と住民の共同作業になっていた。
<初の条例成立>
05年10月、江刺市議会による最初にして最後の政策条例が成立する。
全24条から成る条例は
食の安心・安全のために生産者や市民が担う役割を高らかにうたった。
江刺市議会は「駄目議会」の汚名を鮮やかに返上した。市町村合併の4カ月前だった。
「初めて議員の仕事をした。議員の仕事は議場で『異議なし』と言うことではない。
提案権を使って市民の意見を具体化することだ」。
今は奥州市議となった邦夫さんが力を込める。
思いは江刺区から選出された同僚議員も同じだった。「今度は奥州市議会として条例をつくろう」という声が上がった。
議会の理念と責務を明記した議会基本条例がふさわしい」
と意見がまとまった。
条例の検討部会長に就いたのは、
やはり江刺区選出の佐藤絢哉さん(70)。
「以前は議会が政策条例をつくる意義もつくり方も
まったく分からなかった。
もちろん、今は違う」
と意気込んだ。
検討会による話し合いは2年間で32回を数え、
各地で住民説明会を開いた。
絢哉さんは
「2年の歳月を費やして徹底討論したことに意義がある」と言い切る。
奥州市議会の議会基本条例は昨年、
9月定例会で成立し、12月1日に施行された。
12月定例会の一般質問には、条例に基づいて一問一答方式が導入された。
昨年末、奥州市江刺区にある産直施設「江刺ふるさと市場」は、
お正月の食材を買い求める住民でにぎわっていた。
地産地消条例は新市移行で効力を失った。
しかし、店長の佐藤幸輝さん(51)は
自分たちで条例をつくったという誇りは、
地域住民のここに生きている
と語り、胸をたたいた。
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くさまは記事にある
奥州市議会基本条例の制定にも参画しました。
条例制定後、
還暦なのに一緒に男泣きした佐藤さんの顔は
忘れることができません。
この原点をいつまでも忘れずにいたいです。