私ごとで恐縮ですが、私の娘は突然の事故から14年経ちました。


当時24歳の娘は家を離れ遠方に行っていた時の事故でした。


事故の3日前に電話があり


「お母さん私の事心配してると思うけど、私の事はもう心配しないでいいよ。

これからは、楽しみを見つけて自分の為の人生を過ごしていってね。」


という殊勝なことを言ってきました。


それが彼女と話した最後の会話です。


あれから14年、彼女は自分の人生を自分の意思で紡ぐことはおろか、生きる事のすべてを再び親の手に委ねなくてはならなくなってしまったことを、若し彼女が事態を分かっていたらどんなに無念で辛い思いでいるだろうと思うと胸がつまります。


同時に、介護する親、家族にとっても、「与えられた運命だ」と簡単に受け入れるには

余りにも過酷で重い障害者を抱えることになり、受け入れるのに長い時間を要しました。


しかし、昔ならばこのような状態では助からなかったと言われる命を辛うじて助けて頂いたことへの感謝と、彼女の生命力の強さを思う時、

たとえ医師から「命は取り留めても、意識の回復は望めないでしょう」と断言されても、

家族として諦める事は出来ず、少しでも回復可能な治療、リハビリはないものかとひたすら模索して参りました。

日々の生活はそれまでとは一変し、

自分達の残された人生全てを娘に注いできたと言っても過言ではありません。


私の娘が最後に言った「お母さんの人生を楽しんでね」なんて、夢のまた夢となってしまいました。


夢中で走り続けてきた14年間でしたが、気がつけば親も高齢化し、自分達の健康面にも不安要素がいくつかでてきました。


いつまでも在宅で今のような介護が続けられる保証はありません。

仲間の中には、すでに主介護者が病気で入院したり、意識障害当事者以外の家族が病気になって一人で複数の介護をしているケースも少なくありません。


家族で支えるのはもう限界にきております。考えたくない事ですが、親あるいは介護者亡き後の問題も含め、今後は社会の支援に頼らざるを得ません。


2004年に全国遷延性意識障害者・家族の会が発足してから5年経過しました。

その間も何度か国に対し要望を掲げ交渉に行きましたが、

私たちのようないわばマイノリティーな団体に対しては、なかなか真剣に取り組んでくれなかった感があり、

何度交渉しても具体的な方策は示されませんでした。


私たちは、ゴールのみえないエンドレスの介護を続けています。


もの言えぬ大切な愛する家族の人権と命を守っていかなくてはなりません。

ぎりぎりまで頑張ってはいますがもう介護者が待ったなしの限界状態にきている家族は少なくありません。


そこで、政治に求めることは、障害者、高齢者など弱者に対する施策は、政権が交代しようが、衆参ねじれ国会になろうが、担当大臣が交代しようが、常に超党派で一貫した議論を速やかに進めて頂くことを切に願います。 


菅総理は組閣後の記者会見で「最小不幸の社会を作る」と言われました。


総理の言葉を信じ、言葉だけに終わらぬよう、弱者に優しい政治を期待します。

そして、真の「ノーマライゼーション」の理念を、国家として広く一般国民に浸透させ、

障害者が当たり前に地域で暮らせる社会を作ってほしいものです。



もの言えぬ家族に代わって ~私たちが今、政治に期待すること ~川浪 雅子 よりくさま引用




くさまです。


今日の午後は、県議会の厚生委員長である、しきだ県議会議員のご紹介で


全国遷延性意識障害者・家族の会 設立6周年記念講演会に伺いました。


遷延性意識障害とは、交通事故や脳卒中で脳にダメージを受け、


①自力移動と自力摂食ができない

②目でものを追うことがあっても認識できない

③簡単な命令に応じても意志疎通ができない


などの症状が長期間続くことをいいいます。


今までは「植物状態」と言われていた障害です。


「娘がこうなってから、3時間以上連続して寝られたことがないんです」


24時間介護が必要になっても、病院には入れず、対応できる施設もなく、

いきつくのは自宅での在宅介護。


室温24度、湿度40%台を維持する部屋で、

障害者支援費制度を利用して月240時間ホームヘルパーに来てもらっても

2時間おきの「たん」の吸引と、流動食を胃に流し込む作業は家族がしなくてはなりません。


当然仕事も制限され、行き場のない生活が家族には訪れます。


菅総理の「最小不幸社会」の考え方に期待を寄せたとたん


今日の事業仕分けで、後遺障害者対策の命綱である、

自動車安全特別会計の被害者対策積立金が仕分けられそうになり

私も会場で怒りまで覚えました。


政治の光は、こういった弱者の方々にこそ注がれなければいけません。


横浜の情報文化センターで開催されたのですが

政治家で来てるのは、しきだ県議と僕(現職じゃない)だけでした。

予算が限られる中、

私の出身である横浜市戸塚区で

国や市から何にも補助金をもらえない中で、

意識障がい者の方々のためのグループホームがメンバーの自力で開設をされます。

多くの行政課題、障害を乗り越えての開設です。


家族の方々の希望の明りを、行政の都合で決して消してはいけません。


もし議員になれたら、この問題、議会でまっさきに取り上げたいと思います。


自分のこととして、主体的に考えられる政治家になります!