それは確か暑い日でした。
電車の長座席にはちらほらと空きがあり、
私の隣にも、
痩身ならOK、標準的な体格の男性だとNG
という程度のスペースがありました。
そこにひとりの男がやってきました。
体格はNG、つまり標準ですが、奇異な男です。
何が奇異かと言いますと、
彼はもともと、近くの場所に座っていたにもかかわらず、
そこを放棄して、わざわざ私の隣にやってきたのです。
振りながらねじ込まれる横暴な臀部には、
異常性を感じざるを得ません。
例えば、
もともといた場所に耐えがたい異臭を感じて新天地を求めた
というようなことであれば、
他のもうちょっと余裕のあるスペースを選ぶはず。
おかしい。明らかにおかしい。
必死で答えを探す私。
ふと前を見ます。
ありました。答えが。
向かいに座ってスマホをいじる若い女性の、
油断しきった右膝と左膝の間に。
特筆すべきは、
その白い布の見え方です。
これはもう「見えてる」というレベルを超えています。
もしかすると「見せてる」のかもしれません。
ほぼ見せてる女と確実に見てる男。
なんとも猥雑な景色です。
私は、体の側面にまとわりつくジトッとした生温かさが嫌で、
一方、
それは寒い夜だった。
私は会社から駅に続くなだらかな坂道を登っていた。
しばらく信号のない直線道路。
いつもより車の往来が少なく、人気もない。
引き締まった空気を心地よく感じながら歩く。
徐に後ろからサイレンが近づいてきた。
赤い点滅は私を追い越し、遠ざかり、やがて消えた。
頂上の先がゆるやかな下りになっているのだ。
直線道路だが見通しは悪い。
私はゆっくり後を追った。
頂上に達すると、路面に変化が現れた。
アスファルトに黒い跡が続いている。
その黒い跡には何かがこびりつているように見える。
何かはわからないが、
目を凝らして見てはいけないと自分の頭が警告している。
同時に、
色々なものが目に飛び込んできた。
警官。
車の通行を止めている警察車両。
さっき追い越していった救急車。
そして人だかり。
それにしても静かだ。
人だかりができているのに、誰一人声を発さない。
果たしてその視線の先には物体があった。
永遠に救急車に乗ることはないであろう
その黙した物体は、場を完全に支配していた。
失礼を承知で物体という言葉を使っている。
なぜなら、
人の体というにはあまりに小さかったからだ。
シートから足が覗いているため、
人の体であったことは間違いがない。
だが小さい。
子供か、小柄な大人か、
或は元は標準的な大きさの人体であったが……
これ以上想像してはいけないと頭がまた警告してくる。
振り払うように駅へ急ぐ。
震えている。
また想像が襲い掛かってくる。
きっと「あっ!」と思った次の瞬間だったに違いない。
せめて「あっ!」っと思った次の瞬間、
感覚のスイッチがオフになっていてほしい。
ほんの零コンマ何秒でも、
おろし金と化したアスファルトの感触を感じていてほしくない。
だめだ。考えるとうまく呼吸ができないような気がする。
急ぐ。とにかく急ぐ。
凍えるように寒い。
ようやく電車に乗り込んだ。
長座席の人と人の間にスペースを見つけ座る。
体の側面から伝わってくる温もり。
ああ生きている。
自分も隣の人も生きている。
さて、
「おくりびと」で最も印象的なのは、
腐乱した老人の遺体処理に立ち会った主人公(本木雅弘さん)が、
帰宅して妻の体を求めるシーンです。
台所で、
「こんなところで恥ずかしいよ」と言う広末涼子さんの体をまさぐる
ちょっとエロいシーンでした。
エロというのは、向かいのパンツを見ようが、妻の体をまさぐろうが、
どちらにせよ低俗なものであって、
それで良いのだろうと思います。
ところがこれをですね。
冷たい“死”から逃れ、温かい“生”を得ようとする
自然な欲求なのだと、
もっと言うと、
その欲求から生まれる新しい生命は、
抱きしめるととても温かいのだと、
こう意識したとき、
ああエロはこんなにも人を癒すのか。
結局エロが世界を救うのか。
と、妙な感慨に浸ってしまうのですね。
ここまで文字をムダ使いして、
言いたかったのはこれだけです。
すいませんでした。
☆1.5です。

