強烈な寒波と 寒い冬の思い出 | 草木庵のつぶやき小屋

草木庵のつぶやき小屋

COPDの患者でマスクをして歩くのが苦しいですが、野の花と触れあう散歩が大好きです。

長文です。
面倒だと思われたら適当に抜けてください。

10年ぶりの強烈な寒波ということで、ブロ友さんたちの記事でも大変な様子を幾つも拝見しました。
 
我が家では外の水道の凍結防止水栓から垂れた水で、流し台の排水口の網が凍って1週間でこんな事になってしまいました。
 
 
こちらでは雪は降りませんでしたが、25日は最高気温が0٠6℃で、室内の温度も上がらないのでファンヒーターが頑張っていました。
 
特に日付が変わる頃には設定温度を17℃に下げても激しく燃えていたので、温風をパイプで引き込んでいるコタツが熱すぎるくらいで、午後に入れた灯油が寝る前に空になってしまいました。
 
以前も書いたことが有るかもしれませんが、冬の寒さには色々と思い出すことが有りますから、幾つか書いてみようと思います。
 

 

 木曽でのこと

木曽では寝ている時に体温と室温の差で空気が動いたのか、寒い夜には顔の上を冷たい空気が流れるのを感じました。

そんな夜は鼻息の水分で湿ったのか、朝には布団の襟が凍っていたものです。

朝は大型のファンヒーターが大火力で燃えていても、7時を過ぎる頃から室温がグングン下がるのを、温かい服装をしていても体に感じました。
 
2mの地下を通っている水道の本管が凍って割れたことも有りますから、マイナス20℃を超えるような日が続いたのだと思います。

マイナス10℃では『今日は楽だね』が挨拶でしたからね(笑)
 


雪が降り続いた翌朝に姪の旦那さんから電話が有りました。
当時はキャリアカーの運転をしていて、名古屋からの帰りに動けなくなったと言うのです。
 
場所を聞くと家から20分の所で、道路脇の待避所で午後から一晩過ごして、翌朝になってから私の家が木曽だったと思い出したらしいのです。
 
そのすぐ先にはカーブした急な長い坂が有りましたから、そこで停まったのは幸いでした。

迎えに行って念のために燃料タンクを確認すると、軽油が凍り始めてシャーベットになりかけていました。
 
近くのガソリンスタンドから寒冷地用の軽油を配達して貰って2倍程度にしましたが、軽油が凍ることを知らない人が多いですね。

皆さんもディーゼル車でスキーなどに寒冷地へ行く時は、満タンにしないで行って現地で満タンにするのを忘れないでくださいね。

脱税になるのでお勧めはできませんが、長時間の渋滞が予測される場合など、灯油を混ぜておくのも凍るのを防ぐには有効です。

彼は安全に走れるまで二晩泊まって行きましたが、我が家から近い所で動けなくなったのは幸運でした。


 

 軽井沢の旅館

40年以上前ですが、妻の長姉夫婦が大晦日から一泊で軽井沢の旅館に招待してくれました。
 
姉さんたち一家はプリンスホテルで、私たちと妻の次姉一家は駅前の古~い旅館でしたけどね(笑)

食事は調理師が帰省してしまって大した料理ができないと言って、信州では一年で一番のご馳走の筈の大晦日が、本当に悲しくなるような料理しか出ませんでした。
 
更に驚いたのは寝る前に行ったトイレです。
古い旅館ですから男女共用の和式で、全ての個室が黄金の山で流されてないのです👀

凍結防止のために個室のそれぞれに不凍栓が有って、流す時に開けて使用後は閉めるのが、説明書きが無いのですから、不凍栓を見たことも無い都会の人は分かる筈がありません。

仕方がないので全部の個室の処理をしてやりましたが、思い出したくもない最悪の大晦日でした。


今日は整形外科の予約が午後3時です。
診察前に採血が有って45分以上前に着くようにとの指示なので、1時過ぎには家を出ます。

午後から雪の予報ですが、道路には積もらないことを祈ります。
ノーマルタイヤの車が多いし、雪道の走り方や止まり方を知らない人ばかりですからね。

 
長文にお付き合い下さり有り難うございました。
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