※ねたばれしてます。
自分の思い通りに人や物を操る能力を持った者と、その能力が唯一効かない者(実は超回復能力の持ち主で、ウルヴァリンほどではないけどヒーリング効果みたいなもんを持ってます)とが偶然出会い、それによって引き起こされるドラマや戦いを描いた映画です。
映画館のポスターを観て、チラシのあらすじを読んで、これは面白そうだと思い、ちょうど公開期間中だったので突撃しました。実は『ゾンビアス』を観るついでというか、待ち時間の埋め合わせとして観たというのは内緒ですが、予想以上に面白かったです。楽しめました。
本編を観た後、家に帰ってから予告編を観たのですが、予告編は哀愁漂う感じで、超能力を持つ男と、超能力が効かない男との二人の触れ合いを描いた映画っぽいような印象を受けたのですが(本編を観た後だというのに、この映画はこういう雰囲気なんかなぁって思っちゃったじゃねーかよ)、本編は全くそんな感じではなく、ほとんどの場面は超能力が効かない男を中心として展開していますし、二人の触れ合い的(心の交流的)なものは、ラストにちょこっとある程度です。それまではずっと追いつ追われつをやってますからね、二人は。
多分、日本では二人のイケメン俳優を前面に押し出して、その二人が実は……、なんていうイメージを抱かせたかったんだろうなぁ、と。
ジメっとしたシリアスな土台にコメディをデコレーションしたような不思議な感覚を抱き、それが隔離しているようにも思えて、普通なら失敗してるなぁと思っちゃうところなのですが、なんかね、妙に居心地がよかったんですよね。世界観、というか、雰囲気なのかな、が気に入りました。強いて言えば、80年代のジャッキー・チェンの映画に、もう少しシリアス分を強く加味したっていう感じをイメージしてもらうと近いかなぁ。
展開も追いつ追われつが主軸なので、ハラハラドキドキもあり、ところどころでコメディ的なやり取りを挟んで、ペースを調整するところはなかなかうまいなぁと思いました。人によっては、コメディ的なやり取りは邪魔って思っちゃうかもですが(実は僕も大嫌いなはずなんですが……)、僕はそれによって、起伏が出たと思っております。
二人が何故特殊な能力を持っているのかとか、超能力を持った男の片足がないのは(小さい頃からないのですが)超能力と関係があるのかとか、そういう映画の本筋にはあまり関係ない部分をばっさりと端折っているのも好感が持てました。いいよね、そんな理由なんて別にさ。観ている時に、特にその理由を知りたいとも思わなかったし。
最後は、超能力を持った男が、実は誰かに存在を認めて欲しかったのかなっていう流れになっちゃって、その纏め方は気に入らなかったです。実は超能力を持った男は寂しかったんだよ、なんていうありきたりな流れになってしまったのが残念でした。確かに、二人のそれまでの対比とかも考えると、それが一番いいオチなのかもしれませんが。もうちょっとヒネった落とし方をして欲しかったですね。面白かっただけに特に。
超能力を持った男は、手を挙げた人形と都会のビルが立ち並んだ模型を大事にしているんですが、それは、自分が世界を征服したい、もっと自分の思うようにしたいという気持ちを表していると思っていたんですよね。現実には自分の超能力は限定的で、自分が関わってる場面でしか効果がないっていうことに諦めと憤りを持っているっていう表現なのかと思ってたんですけどねー。人とか平気で殺すしね。躊躇ないし。唯一、母親だけは殺せなかったけど、二度も。
それは、多分、自分のことを認めて欲しい、自分の存在に気付いて欲しい、というメタファーとして用いてたっぽいですね。人形を肌身離さず持ってたし。母親を殺せなかったのも、それが理由なんだろうし。
いつもの調子で書いていたらdisってるような気がしてきましたが、いやいや、本当に面白かったですよ。観てよかったぁと思いましたもん。
そうそう、超能力を持った男が、水嶋ヒロをワイルドにして、ボクシングで3Rくらい殴れた後みたいな感じで、超能力が効かない男の方は、伊藤英明ベースに阿部寛分を注入して、適当に攪拌しましたって感じでした。脳内では、水嶋ヒロと、伊藤寛(伊藤英明+阿部寛)と変換して観てました。
あ、そう言えば、ヒロイン的な立場の女性は出てくるんですが、この映画のメインキャストってほぼ全員男性やんか。男くさくはないけど。最近の映画としては珍しいかもですね。