1975年4月12日の朝、Alan Worsley氏はHull University (UK)のラボで眠っていました。科学的な歴史を作り出すのを願いながら。
8時 a.m頃、夢を見てから30分後、それは起こりました。Worsley氏は夢を見ている状態だと気付いたのです。
ラボで寝ていたのを覚えていたのに、彼は大学院生のKeith Hearneが彼の目が7、8回左右に動いていることで夢を見ている意識にどうシグナルを送っているのか聞いて来たことを思い出しました。この左右のシグナルは目の上での球速眼球運動体によって受信され、Worsley氏が夢の中で意識的に明確に気づいていたことを確認しています。
素晴らしいことに研修者Keith Hearneが見たことには、眼球電位図が典型的な眼球運動からきちんと測定され、コントロールされた左右シグナルへ動き始めたのです。(例:閃輝関連)その途端、Hearneは以下のように報告しました。
「それは別のソーラーシステムから受け取るSETIシグナルのようでした。私は至福に満たされたが対象を起こさないよう静かにしていなければなりませんでした。それは素晴らしく、理解の及ばない状況でした。私は別の部屋に眠っている「無意識に」夢を見ていているのに、完全に意識があり、他者と交流している彼自身の鮮明な世界の中にいる人からのコミュニケーションを見ているのです。」
この時、明晰夢の直接的な科学的証拠が現れました。明晰夢者のAlan Worsley氏が明晰夢の中から彼が気づいているとシグナルを送ってきました。研究者Keith Hearneは「証拠」を得たのです。明晰夢を科学的に調査する時代が始まったのです!
Alan Worsley氏は科学的根拠が存在する前に明晰夢を見る方法をどう「習得」したのでしょう?!
Worsley氏によると、幼少時代に気づきを得て、悪夢を見ないようにする手段を独学で得ました。 Lucidity Letterに記載があります。 (1991, Vol. 10, 1 & 2), Worsleyは思い出しました。
「覚えている限り、意図的に開発したテクニックで最初に明晰夢を見たのは5歳頃でした。私は「お母さん!」と叫ぶことで怖い夢から自分自身を起こすことに気づきました。この逃げ道を知ってからどんどん平気になってきました。わざと落ちる夢を続けさせ、何も悪いことは起こりませんでした。どんどん自信がついて、数か月ごとに明晰夢を見ました。徐々に私は怖い夢を見ているときでなくても夢を見ていると気付き、ただの夢を覚えている必要がないことを習得しました。また置きたいときに目覚めることも習得しました。自分自身の世界の中で自由にいるという考えに非常に興味を覚えました。」
明晰夢について何年も探し続けた後、Worsley氏は彼自身を実験することができることに気づきました。
「成長していくにつれ、これらの夢のことを「意識的な」夢と呼ぶようになりました。12歳ぐらいの時、私は最初の「意識的夢」の実験を計画しました。夢の中でどれだけ多くを詳細に見れるかを調査することでした。最初の明晰夢では、実験を計画してから、それを覚えていました。入口に立っていてました。それは木でできた枠でした。私は木目を探すことにしました。木目の詳細を見ることができ、夢の中でも視界が明瞭だということを発見しました。それ以来、夢の詳細が作られているようには認識しませんでした。結果としては夢の中で詳細が作られることは可能だということでした。」
これらの発生した明晰夢スキルで、Worsley氏は1975年Keith Hearneの招待を受け、科学による明晰夢の探求の新時代が整ったのでした。
今日4月12日、生まれつきの明晰夢者 Alan Worsley氏と45年前若き大学院研究生だった,Keith Hearneの共同作業を思い出す時が来ました。
彼らがどうやって明晰夢のインナースペースを開き、懐疑的な世界へ最初に科学的根拠をもたらしたのか思い出してください。そして無意識の深さを意識的に探索するので、未来の明晰夢探究者全員と成し遂げられる新たな発見をイメージしてみましょう。
4月12日明晰夢デーおめでとう!
参考資料:
Interview with Keith Hearne by Rebecca Casale: https://www.world-of-lucid-
dreaming.com/keith-hearne-interview.html
And Lucidity Letter (1991), editor Jayne Gackenbach,
https://journals.macewan.ca/lucidity/article/view/423/313