まだ、感覚が残ってる。
あの人が「触れた」場所を触ってみる。
それは、いつも通り、そこにある「だけ」。
ああ、どうして、こんな虚しい気持ちになるのか。
願いが叶えられて、嬉しいはずなのに、
心は寒々としている。
次はない。
刹那の恋。
いや、恋でもないかもしれない。
「好き」という気持ちが、ものの見事に消え去っている。
いや、そもそも、そんな気持ちがあったのかさえ、怪しい。
「あの人は今頃、どうしているのだろう?」
そんな想像は、茜をさらに、虚しくさせる。
「いったい、私は何がしたいんだろう?」
心の中は、空っぽだ。
「あの時間は、夢だったのかもしれない。」
茜は、そう考える。
夢が現実になれば、途端に色褪せる。
夢は、夢のまま、終わらせたほうが、
遥かに美しい。
そのことを、茜は誰よりわかっていた。
「会いたいのに、会えない。」
その状況こそが、茜をより熱くさせる。
恋心が募るのは、会えない現実があってこそ、だ。
「じゃあね。」
帰り際、それだけ言って、茜は背を向ける。
「またね。」も、「次はいつ?」も言わない。
約束をできる関係ではないことは、よくわかっていた。
背中ごしに聞こえる、「がちゃり」という音。
あの人が、ドアの鍵を閉める音。
その音は、いつも茜を、悲しくさせた。
そして、現実が襲ってくる。
つまらない、でも確実に、そこにあるもの。
茜は、現実に帰らなければならない。
つまらない、逃げ出したくなるような、現実が。
帰る場所がある自分は、幸せだ。
茜はそう思い込もうとする。
「夢だけ見れたら、いいのにね。」
そう呟くと、茜は、煙草の煙を吐き出し、
あの人の記憶を、すべて消し去った。
外にはもう、冬の気配がしていた。
了
また、物語を書いてみました。
もちろん、フィクションです。