来望から聞いた「最後の言葉。」ごめんね | 13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

2018年12月24日に突然の告知からの入院。
その日から小児癌に負けることなく笑顔と優しさを
持ち続けた中学生の記録です。父親の私の立場から
彼女の事を少しでも多くの人に知って貰いたいそんなブログです。

 

今、想い出すと色々な事が蘇ります。

今となっては、長いようで短い入院生活

そして、辛くて悲しい闘病生活。

 

彼女が旅立ってから、もうすぐ2年。

 

今でも一人になると感情が溢れ

自然に出ている涙。

 

取返しがつかない時間の流れを

痛感すると共に 自分の親として

本当に情けなく、頼りなく、力及ばない

小さな存在なんだと。

 

最近は、何か想い出す度に

「ゴメンね、ごめんね」と謝っています。

いつか、来望に再開出来た時に

沢山、謝ってあげたい。

そして、ずっと笑顔で一緒に居たい。

 

 

そんな時の為に、謝るべき事を

まとめて置きたいと思います。

 

自分の気持ちを整理する為にも。

 

 

来望を想い出す時に最初に思うのは

「来望の最後の言葉。」

彼女と初めて、この世で出会ってから

どれだけの言葉を聞き、話をしたか

 

そんな彼女の私が聞いた最後の言葉を想い出すと

来望が旅立つ前日が私がお泊りだった日に聞いた

 

「あ゛あ゛・・・」でした。

 

多分、夜だったと思います。

何を言いたかったのか?

何を言ったのか?

でも、その時は何も考えず

何も返事をしてやらず、やり過ごしました。

 

そして

夜中の2時ぐらいだったと思います。

 

前日から急に、意識も遠くなってきていて

言葉もちゃんと話せなくなってきて

そんな中、来望のおむつを交換してあげる時

 

来望が少し、腰を浮かせてくれたんです。

おむつが交換しやすいように。

そんな時に私は今後の不安や来望の状況に

耐えきれなくなったのでしょう

何を思ったのか、

 

「来望~おむつの時は頑張って言ってや!

でないと、いつ替えるか解らないやん~」

 

「わかったぁ~?」

 

と彼女に話し掛けると、返事はありませんでした。

話ができない来望に、そんな事を言ったんです。

最低ですね・・・

 

 

もしかしたら、

「あ゛あ゛・・・」っていうのは、

 

「お父さん、ゴメンネ」って

謝っていたのかも・・・

 

「お父さん、怖いよ」って

耐えていたのかも・・

 

そんな来望の気持ちも考えず

私はなんていう親でしょうか。

本当に最低です。

 

けど、もう謝る事すら出来ないんですよ

なんで?

 

本当にゴメン

来望、ゴメンね。

 

なんど謝っても謝り切れないんです。

 

俺がソッチにいったら、思いっきり怒ってな

そして、なんて言いたかったのか

教えてください。