お葬式  2019年11月12日 | 13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

2018年12月24日に突然の告知からの入院。
その日から小児癌に負けることなく笑顔と優しさを
持ち続けた中学生の記録です。父親の私の立場から
彼女の事を少しでも多くの人に知って貰いたいそんなブログです。

寝たのか、寝てないのか

早朝に目覚め

来望の顔を見にホールへ。

 

穏やかに眠っている来望に

朝の挨拶をしました。

「おはよう」

この日が来望に対して

直接 挨拶する最後なんですね

 

葬儀が始まるまで、

何をしていたのか記憶が曖昧で

あまり覚えていません。

 

何か動き回っていたのは

なんとなく覚えてはいるのですが。

 

 

そして住職が来てくださり

お葬式が始まります。

 

この住職は私の同級生なんです。

小学校から35年、ずっと一緒に

そして今尚、同じ趣味を楽しみ

誰よりも長い時間、共に過ごしてきた

大親友なんです。

 

私達の結婚式でも歌を歌ってくれ

家族ぐるみでお付き合いをしている

そんな大親友にお願いをしました。

 

来望にとって、それが一番

喜んでくれると夫婦で話し合いました。

宗教なんて関係なく、

心から天国に送り出してくれる方に

お経を読んで貰えたのは

ありがたい事ですから。

 

そして、平日にも関わらず

沢山の方に参列してもらって

最後のお別れも出来ました。

本当に感謝でしかありません。

 

出棺の際に来望の為に

泣いてくださる皆様を心に刻みながら

お山(火葬場)に向かいます。

 

 

ただ、直接 向かうのではなく

来望の中学校の正門に向かいました。

 

校長先生のご厚意で

是非、寄ってくださいとの事で

来望の最後の登校ですね。

 

平日の、しかも試験週間中。

いざ、到着してみると

校門で待ってくれていたのは

来望の学年の生徒全員がいました。

 

授業時間にも関わらず、

来望の為に出て来てくれてます。

車を降りて「ありがとうございます。」と。

ご挨拶をさせてもらいました。

 

泣いてくれている子

何も言わず、見てくれている子。

何かを感じ取ってくれれば

それだけで、十分ですから。

 

と、

 

奥様が「写真を撮らせてください!」と

来望の写真と共に生徒の中央へ。

基本的に社交的でもない奥様が

来望の為に勇気を振り絞って

お願いしたんだと思います。

 

しかも、大きな声で

「みんな笑ってぇ~~」と

叫んだんです・・・

 

母は強い。

 

改めて尊敬です。

最後にもう一度皆さんに挨拶をし

再び出発です。

 

15分ほどで、お山に到着。

何度来ても悲しい気持ちになります。

前回来たのは もう10年前ぐらいか。

 

中の建物も綺麗になっていて

喫煙所も無くなっていて

増築されていて。

 

そして・・・・

 

いよいよ、来望の体とは

お別れの時間がきました。

この扉の中は誰も経験がありません

経験した人は語る事がありません。

 

今、この世にいる人には

未知の世界。

 

どんな場所なのか

暗くて狭くて、そして熱くて。

そんな場所を先に来望に

行かせてしまった事。

そして来望の姿を見れなくなる事。

 

色々な想いをもって

待合室で時間が

経つのを待ちました。

 

沢山の悲しみが重なり合う場所

他の家族の遺影をみると

色々な方がいました。

 

ですが、13歳という女子は

やっぱり来望だけ。

他の遺族の方が来望の遺影をみて

哀れんでくださってましたね。

 

約30分ぐらいでしょうか。

 

葬儀屋さんに呼ばれ

向かった部屋。

 

そこに入ると・・・

来望の変わった姿が。

 

もう悲しいという気持ちではなく

現実味が無い。

今、ここに居るのが来望なの?

自分の大事な娘なのか?

よく理解できないのが、

しなかったのか。

 

覚えているのは、

綺麗な仏様が居てくれた事。

それだけだったかも。

 

とにかく、ちゃんと送ってあげないと

来望が不安にならないように

という気持ちで、最後までやり遂げました。

 

姿を変えた来望を抱え、

葬儀場へ戻り、

「初七日法要」の法要を。

 

帰る間際に妹に勧められ

家族4人で写真を。

 

 

来望の最高の笑顔とピースサイン。

ほとんどの写真で

必ずといって良いほど、

ピースをしている来望。

 

お疲れ様、来望。

 

そして、

 

ありがとう。