闘病90日目は 寝る前に娘の苦悩を聞く 19/03/24 | 13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

2018年12月24日に突然の告知からの入院。
その日から小児癌に負けることなく笑顔と優しさを
持ち続けた中学生の記録です。父親の私の立場から
彼女の事を少しでも多くの人に知って貰いたいそんなブログです。

 

前回の抗がん剤治療が終わり

合間のひと時。

 

痛みも少しは落ち着き、

投薬の種類も決まりだしてきては

いるのですが、どうしても神経の

痛みだけに突発的です。

 

なんともない時間が続いても

急に激しい痛みに襲われます。

 

そんな娘ちゃんですが

私が担当だとどうしても
仕事や、病気の情報収集

気分転換の為に病室を出て

来望を一人にしてしまう時間も
あるだけに、

外に出ていて病室に戻ってみると

気がつけば、痛みが出ていて

看護師さんが部屋に居て

処置をしてくれる事もシバシバ。

 

「ごめんなぁ~」と

謝りまりはしますが、

来望も怒ったりはしません。

 

自分が悪いんだという

気持ちが強いのでしょうね。

そんな気持ちにアグラをかいてた

私も甘いんだ、そして

寂しい想いをさせているんだと
実感する出来事がありました。


深夜になりテレビも
番組の放送が終わりだし
来望も暇になるが
寝つきが悪く
ゴソゴソしていました。

 

気が付けば深夜になって

明け方まになり不意に
私の方から、

 

「最近はどう?」
「なにか辛いことある?」
と気さくに質問した所
 

突然の号泣。

泣き止むのに
時間が掛かりました。
とにかく話が出来るぐらいに
抱き寄せて、話をして落ち着かせ、

ユックリと話を聞くと、

「もう、しんどいよぉ~」
「かえりたいよ~」

「なんでなん・・・」


と長く続く治療に対しての
自分の想いを語り始めました。

時間も相まってなのか

私も感情を抑えきれずに

一緒になって号泣・・・

 

本来ならば私がシッカリと

来望の気持ちを受け止めて

安心させてあげるのが

父親の役目なはず。

私の役目なはず。

 

来望の心の拠り所になって

あげないと駄目なのに。

我慢できませんでした。

だからといって
「辞めていいよ!」

「帰ろうね」

と言える事では
ないだけに来望に言ってあげれる

言葉が見つからない自分が

本当に情けなくて、辛くて。

 

私がこれだけ辛いなら

来望はどれほど辛い想いを

しているんだろうと・・・

 

 

その後も、来望は今まで

言わなかった自分の想いを

伝えてくれました。

 

「私がもっと
シッカリしてないから・・」

とか

「私のせいで弟に寂しい
想いをさせてる・・」

など、ネガティブな思考に
なっているんだと。

元気な時はあれだけ

前向きでポジティブな子だった

だけに尚更 彼女の辛さが

響いてきます。

 

とにかく、このままでは

良くないし、何も進まないので

何か、来望に伝えてあげないと

安心させてあげないと、と

低能な知識と知恵を絞って

でた言葉は

「今の辛さを悲しむのではなく
次の楽しい事を考えよう。」

「素敵な時間を過ごす為に
今をがんばろうーー!」

というのが精一杯でした。

納得したのか?しないのかは
解りませんが、泣き疲れたのか
落ち着いてくれて・・・

 

そのまま、私の胸で眠りについた
娘ちゃん。

いつもは、何もなかったかの
様に振る舞っていますが

彼女なりに、
一生懸命考えていて
苦しんでいるんだと

改めて実感しました。
そんな深い夜・・

退院できる夢を見るかぁ~な

おやすみ。
 

この仕打ちに対して

私達家族はそんなに

酷い事をしてきたんでしょうか

とぶつけようの無い気持ちを

抑える夜になりました。