日常がnews zeroのテーマソングになってからもうすぐ1年、フルバージョンが公開されてから半年、ようやくこの曲が自分の日常になってきた気がする。番組の時間には寝ていることが多く、通常見ない番組なので、本格的にきき始めたのはフルがきけるようになってから。でも初めのうちは歌詞が重くて鬼リピには至らず、少しずつ少しずつ耐性をつけていったように思う。
♪今なんて言った?ああ確かめなきゃ良かった♪
♪何でも打ち明けてと言われる度に言えなくなる♪
♪打たれ弱いくせしてあなたにまだ良い顔をしていたい♪
自分も人を知らないうちに傷つけているんじゃないか、とか思うと胸をえぐられるようだった。自分の心の黒いものを公開されたようで苦しかった。同時に、あまり大きな声では言わない心の闇、タブーみたいなものをぶちまけちゃっていいの?と心が騒ぐ。小さいころに山口百恵さん、辺見マリさんや青江三奈さんに感じたものや、サザンのあけすけな歌詞に感じたものと似ているような気もするけど、それともまたちょっと違うような。いずれにしても地に足がついていないと書けない歌詞、苦しみを味わったであろう人が書いている歌詞だから説得力がある、といつもながら感心した。
日常はChessboardと両A面で発売されているが、その2つを組み合わせて考えたとき、チェスの1マス1マスに日常の世界があるのだ、と妙に腑に落ちた。1マス1マスはしんどいこともあるけど、その足元・足跡からは緑が茂っていく。人生を俯瞰でみているChessboardと1マスにフォーカスした日常。全然違う曲だけど実はセットなんだと感じた。自分の毎日も市松模様みたいにネガティブ/日常とポジティブ/Chessboardを繰り返しているように思える。ニュートラルなポジションでいられるよう心掛けてはいるものの、結局行ったり来たりしていて、でもまあそれが人生なんだなあ、と自分よりずっと若いヒゲダンに教えてもらっているようだ。
この誰もが抱え得る重さのある曲を、あえて小野リサさんできいてみたい。小野さんはボサノバの大家、ささやくような温かい歌声は唯一無二で、きいている人の隣にそっと寄り添ってくれるような心地よさがある。ギターのやさしい音色もトゲトゲした心をきっと癒してくれるはず。スーツの人もスエットの人も、みな癒されるだろう。
大変ショックなことに、この記事を書くに当たって調べたところ、ドリフターズのいい湯だなをカバーしているのが小野さんではないことがわかった。ずっと小野さんだと思っていた。そして私は小野さんの曲を本当によく知らずにこの記事を書いてしまっていることに愕然としている。
次回、続きを書きます。