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(旧)薄口コラム

※はてなブログに本格移転しています。
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進撃の巨人の一話で、エレンが泣いたのは何故なのか?
SONYが復活するためにはどういう戦略が必要か?
身近な時事ネタやビジネスなど、さまざまな事に斜めに構えて考察します!

本体ブログの過去記事の冒頭を定期的にピックアップしていこうと思います。
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この時期になると、毎年AO入試をはじめとする、志望理由書の相談を受けます。
その多くが、何を書いていいのかわからないというもの。
特に自己PRについてが多いです。

僕は質問されるたびに「みんな考えすぎ」って思います。
凄い経験をしてなくちゃダメって思ってしまうんですよね。
でも大切なことは、むしろエピソードそのものより、そこからどう感じとったかだと思うんです。
例えば今晩のご飯食べるお店を決めるとして、同じ料金なら「1流の食材をこれでもかと使った対して美味しくないお店」と「食材はありきたりだけれど調理の工夫で美味しくしてる店」のどっちに行きたいかってことと同じです。
僕なら間違えなく、後者を選ぶ。
試験官もおそらく形だけの功績と、ありきたりだけれどストーリーのある話なら後者に注目すると思います。

これだけだと、理想だけの話になってしまうので具体例を。。
例えばSF小説が好きな理系の子がいたとして、それは十分PRできる素材です。



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微妙な気持ちを言語化するのが面倒なとき、僕はよくラインスタンプに逃げます。
あれは本当によくできてると思う(笑)
喜怒哀楽が抽象化されてるため、四分類の中で自分の今の心情に最も近いものを選んでおけば、とりあえずなんとかなるってのが凄いと思います。

で、ふと思ったのが、このままラインスタンプのようなサービス?技術?が進化してそれに慣れてしまうと、僕たちは無意識に感情も選択するものになって行くのではないかということです。
「自分は今こんな気持ちだ」って伝えるのではなく、自分の気持ちに一番近いのはどのスタンプだろうって探すのがスタンダードな世界。
そもそも言語自体自分の気持ちの中で翻訳(言語化)可能な部分しか伝えられないのでは?と突っ込まれたらなにも言い返せないのですが、それでも自分の気持ちをスタンプで表示される8つくらいの中から選択するのが当たり前になった人たちのコミュニケーションがどんなものか想像するとちょっとゾッとします。



もうひとつ最近よく思うことが、「検索する」ことの不自由さです。

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僕は物事を学ぶということには、だいたい4つくらいのレイヤーがあると思っています。
1つめはそのものを認知するというレイヤー(知識レイヤー)
2つめが認知した公式なり言葉なりを、事象に応じて使いこなすレイヤー(ノウハウレイヤー)
3つめはそのものの成り立ちや仕組みにまで意識を向けるという動作です(考察・分析レイヤー)
そして4つめがそうした物が生まれた背景や文化、あるいは歴史であるならば関わった人の心情にまで目を向けるというレイヤー(背景レイヤー)

例えば地理に出てくるテラロッサという単語。
知識レイヤーで捉えれば、「テラロッサ」という言葉自体が大切になります。
ノウハウレイヤーに落とすとそれが、イタリア地方にある土壌の名前、ブラジルの土壌テラローシャと混同しないように注意が必要と言ったように、勉強で使える「知識」になる。
そしてさらに階層を落とすと、その言葉の意味事態に注目して、「テラ=土」「ロッサ=イタリア語で赤色」という風に分解して考えることになります。
そして最後の背景レイヤーの考え方ではなぜ「赤い土」と呼ばれるのかを考える。
テラロッサという言葉について考えるとこんな感じです。


で、この考え方はどんな単純なものにも当てはまります。
例えばアルファベットの「A」をとってもも同じです。
1ならば単純にAという文字を記号として覚えるということが当てはまります。
2でそれの使われ方(アルファベットとしてや、数学のアンサーの意。プログラム言語のアンカータグや音楽のコードなど)を理解するということになります。
3になると、Aとはどうやって生まれたかになる。
それが文字である以上、単純な使いやすさをベースに作ったローマ数字や楔形文字、あるいは物の形から生まれたか漢字やヒエログリフのような象形文字といったように、カテゴライズができるはずと考えられます。
それで調べて行くとAは象形文字の分類でひっくり返した牛の顔を示していると知ることができます。
ここが考察・分析レイヤー。
4つ目では、「なぜ牛がアルファベットの初めの文字として選ばれなければならなかったのか?」を考えることになります。
アルファベットが生まれた頃に生活していた人にとって、牛は裕福さや繁栄の象徴だったのだとか。
英語も繁栄してほしいと言う願いをこめて作られたというのがAか牛をかたどっている所以なのだそう。

こうやって考えると、4つのレイヤーはそれぞれ「知識」「方法」「成り立ち」「ストーリー」と言い換えることができると思います。
で、四つ目の「ストーリー」まで落とし込んで行くとどんなことでも価値を帯びる(マネタイズ)できるようになる。
この、4つ目の層をどうやって生み出しているのかを考えることが勉強にしても何にしても、大切なように思います。

僕がこんな風に感じはじめたのは、一昨年内定を頂いた(断っちゃいましたが)某予備校の先生が最終面接で「A」の話を披露してくれたのがきっかけです。
その人の説明を聞いてすげー!って思ってそのネタを使い続けてました(笑)
で、はじめはそういうネタを探すことに夢中になっていたのですが、大切なのは自分でこの次元の思考をすることだと気づき、それで四苦八苦していた末にぼんやり浮かんだのが上の4レイヤーです。
元々は文芸評論の技法をベースにした考え方。

最近ようやくストーリーになんとかたどり着くあたりはできるようになったのですが、それを使えるものにするまでがうまくいきません。
それを落語で完璧にやりきった人が立川談志さんなのかななんて思います。


こんなことを急に書きたくなったきっかけは、岡田斗司夫さんと堀江貴文さんの対談本の冒頭に「多くの人はどうやって?を聞くけれど、大切なのはなぜそんな考え方をしたのか?です。」という一言をみたからです。
「考え方」の研究っていうのんに最近ハマっていて、暇な時間はひたすら本や文章をみているおかげで、最近ブログがストップしています、、、
少しずつまとまってきたので、少しずつブログを再開したいなと思います。。

・・・久しぶりで全然文章がまとまらない、、