お笑い論 ダウンタウンと紳助竜介の作った形 | (旧)薄口コラム

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お笑いの歴史について、昨日Twitterでつぶやいたものをまとめました。


 漫才の型っていうのんを分解していくと、ここ20年近くベースが変わっていないと思う。
今の漫才ってナイツとスリムクラブを除き、ほかの全てがダウンタウンか紳助竜介を起源としている。
比率でいけばダウンタウン:紳助竜介の比率が8:2くらい。
ざっと30年くらいお笑いを追うとよく分かる。


ひとつめの転機は80年代のお笑いブームに出てきたツービート、B&B、紳助竜介の3組の漫才。
それまでの漫才は、話の筋がはっきりとしていて、テンポと絶妙な間で笑わせていた。
先の3組が行った事はテンポの破壊。
話の掛け合いを極限まで早くして、次々と笑い場を設けるネタを作った。


B&Bはむちゃくちゃ高いスキルで漫才のテンポを押し上げたと思う。
島田洋七さんの名人芸の様な早いテンポの中に作る緩急と、それに合わせた洋八さんのツッコミで、技巧的に無理やりテンポを上げた感じ。
この結果、前の笑いが消えないうちに次のボケに笑うようになる。



B&Bが技術でテンポを上げたのに対し、ツービートは知識でスピードを限界点まで引き上げた。
ビートたけしの以上なキレと早口で、矢継ぎ早に言葉とボケを出し続けることで、多分これ以上ないってところまでテンポを引き上げている。
普通の何倍も早いため、ネタがその分詰まったものになった。

先の二組が自分たちの特徴を活かしてテンポを引き上げたのに対し、紳助竜介が決定的に違うのは、理論でテンポ早めたところ。
紳竜の漫才はそれまでに存在していた「間」で笑わせる漫才を否定することで作られている。
一切の間を排除して畳み掛ける紳助の言葉に竜介が返すという形でペースを上げた。

この3組により、漫才のテンポが今までと比較にならないほど早くなる。
特に、紳助竜介の作った「間を排除した漫才」が出てきたところで、テンポを引き上げる漫才という「型」が完成したのだと思う。
ここら辺の影響を受けてるのがトータルテンボスやキングコング、ウーマンラッシュアワーあたり。

漫才ブームのあとに、テンポ重視の漫才を完璧に崩してきたのがダウンタウン。
紳助竜介、B&B、ツービートの笑いが間を取っ払うことで生み出された笑い、それ以前の漫才が間で笑わす笑いだったとしたら、ダウンタウンが生み出した笑いは間を外す事で生み出す笑といえる。


ダウンタウンが生み出した最大の特徴は、アドリブのような漫才。
それ以前の漫才は例えスピードを早くしようが、絶対に台本があることが分かるものだった。
観客もよく練り込まれたネタであるということがわかるように作られていたのである。
そうした完成されたパッケージを消したのが彼らの漫才。


ダウンタウンは日常会話と変わらぬペースの喋りのテンポでネタを作っている。
そして、さも松本のボケはその場で作られたかのようなおどけた反応を浜田がすることで成り立つ。
予め組み立てられた台本らしさを無くすことで、見ている側が不意と笑いに襲われる。
これが間を外した笑い。

ダウンタウンが作った新しい漫才の型は「テンポを落とし、アドリブ感で笑わせる」というもの。
サンドウィッチマンやおぎやはぎ、チュートリアルなんかがこの部類。
「間を無くす笑い」と「アドリブの様な笑い」
今の漫才のほぼ全てがこの2つの「型」をスタンダードにして作られている。

僕が見ている限り、それ以降新しい漫才のスタンダードは生まれていないと思う。
例外的にスリムクラブの間を限界まで伸ばした漫才の「型」や落語譲りの組み立てられたナイツの漫才の「型」などもあるが、あれらはいずれも彼らのキャラクター由来なもので、普遍的に漫才師に広がるとは考えにくい。

今まで名人芸のように受け継がれてきた漫才に対して笑いの理論を残したという意味で、紳助竜介とダウンタウンは漫才の歴史の中でかなり大きな存在だと思う。
そしてそれを壊す存在が未だ出てこないところに、笑の奥深さっていうものを感じる。
(敬称は省略しています)