他人を信じられない国? | クルミドコーヒーのブログ

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西国分寺駅前
くるみをテーマにした
こどもたちのためのカフェ

1年半前の日本総研さんの記事ですが
こんなのを見つけました。

他人を信頼できない国”日本”を変えていくために

文中にあるように
2002年と2004年の比較統計で
「ほとんどの人は信頼できる」と回答した人の割合が
全国的に減少しているという・・・

こうしたデータについては
その調査方法や意味の読み方について
慎重な議論が必要だと思いますが
そのタイトルを含め
なぜか変な納得感(?)を覚えてしまいまして。

「まわりの人を信じられない社会になってきてしまっている」

そんな気がしませんか?


もちろん大きなところでは
食品偽装や、振り込め詐欺など
数々の「だます」事件を、その例に挙げられると思いますが
まあそういったものは、いつの時代にもあったわけなのでしょうし。

むしろ象徴的なのは
マンションのオートロックやホームセキュリティ
お店の万引き防止ゲートなどであるように思っています。

その存在自体が、無言で
「わたしはあなたを信用していません」と語っているわけです。

もちろん、本屋やCD屋での万引きの被害の大きさなど
お話を聞いたこともありますので
今の状況で、ゲートを取り外すというのは
とてもリアリティのある話ではないのでしょう。

ただ人間の心理として「互酬性」というものがあるわけです。

されたら、やり返す。ということですね。
それはいい方向でも、悪い方向でも。

信用されれば、信用で返そうとするし。
信用されなければ、不信用で返そうとする。

野菜の直売所なんかはいい例ですね。


日本はもともと、この「根拠なく人を信じられる」ことに
その社会の特徴があったように思うのです。
「渡る世間に鬼はなし」ですね。

それが徐々に変わってきている・・・
ひとりひとりの「信用されない」経験の積み重ねを通じて・・・


クルミドコーヒーでも例えば
「クルミ、食べ放題だからって、
 ごそっと持ち帰られちゃったらどうしよう」
なんて議論が出たこともありました。

じゃあ、クルミの自動販売機を設置して
コインを入れないと出てこないようにする、、
なんてことをするのか。しませんね。
(といいつつ
 それはそれでおもしろい気もしてしまいましたが (^~^))

ささいなことですけどね。


クルミドコーヒーの入居するマージュ西国分寺でも
その4階のコモンスペースに置く共用の洗濯機
コインランドリーにしようかという議論がありました。

その方が取りっぱぐれがないだろうという理屈ですね。

でも、そうはしませんでした。
代わりに、先日のとねの記事にも出てきた
超・地域通貨マージュを「自主的に」払ってもらう形にしています。

だってイヤでしょう。

そのうちコインランドリーにパスワードがついて
さらにはICカードが必要になって、、
なんてことにもなりかねませんからね。

それでも悪いことをする人は、するわけでしょうし(笑)


こういうひとつひとつ
生活の細部での経験値の積み重ねが
人の世の中の捉え方を規定していってしまう部分、あるように思うのです。

小さく信じる
そうすればきっと、小さく信じてもらえる。
時間のかかる作業ですが
これを続けるしかないのでしょうね。


「まわりを信じられる社会」

なくしてはならない
この国の美しい部分であると、自分は思っています。