小池新党とか希望の党は人気が先行していて腑に落ちないことが多い。

小池さんの頑張りぶりは凄いと思う。まさに女性活躍時代に相応しいと思う。だが、自分には、小池新党とか希望の党には腑に落ちないことが多い。まして、民進党が解党して党員が希望の党に合流するなどど言うのは、『民進党よ、血迷うな!』と怒りたい。

 

小池さんが都政などにはあまり関心がないことは、都知事選挙の時から分かっていたが、絶対的な支持を得て当選してしまったのだから、覚悟を決めて、いや観念してというべきか、都政の運営に全身前霊を尽くすべきだ。

 

●小池人気にあやかろうとしているのはテレビタレントと同じではないか。

そうでなければ、代々の知事が片手間に都政をやってきたのを踏襲することになり、都民が可哀相だし、オリンピックを迎える国際都市として、また、日本の首都としてもよろしくないことになる。それにしても、一生懸命にやろうとした舛添要一を些細なことで追い出してしまったのは、今になってみば、ちょっと惜しかった気がする。

 

安倍独裁政治を止めるために我も我もと馳せ参じる気持ちは分かる。皆が選挙に落ちることを恐れているのである。それで小池人気にあやかろうとしているのだ。何と浅ましいことか。これではまるでテレビタレントと同じではないか。

 

●小池人気には政治家に必要な理念、政策が見当たらないではないか。

タレントをバカにして言うのではない。タレントはそれなりの人気を得る特殊能力を求められている。政治家もまた同様に政治家としての特殊能力が必要なのである。それは、人気を得ることではなく、政治を国民のために良くする政策、その理念が求められているのである。

 

残念ながら、今の小池人気には政治家に必要な理念、政策がないてはないか。政治をリセット(初期設定)する、と小池は語るが、では初期設定した後にどんな政策を画面に描くのかが示されていないのである。

 

日本人が絶滅への坂を下っているのはデーターが明らかにしている。

小池は、改革が進んでいないとも語るが、その改革とは何かが良く分からないではないか。日本の大問題は、人口減少だ。どんな生物でも固体が減少して行くのは、生存の条件が悪化しているからであって、それはやがて『絶滅』に至ることになる。

 

人類とは言わないにしても、日本人が絶滅への坂を下っているのはデーターが明らかにしている。これをくい止めて人口減少を増加へと転じさせることが、政治家の最大の責務であることは、議論の余地がない。

 

●人間本来の自由を尊ぶ者にとって共産主義は精神的な苦痛を強いられる。

そして、現在の少子化の原因が若者たちの貧困であり、それが、富の偏在という格差社会によって発生していることも議論の余地がないのである。この問題は、だとすれば資本主義をすてて共産主義を社会の理念にするか、と考えてしまう人々がいる。

 

だが、共産主義は資本と所得を共有化することによって、経済的な平等を図ることができるのだが、その平等な社会を政治的に統率するために必然的に独裁政治に陥ってしまうのである。自由という人間本来の生きざまを尊ぶ者にとって、共産主義は精神的な苦痛を強いられることになる。

 

●経済繁栄の中で貧困者が増えるという病的な状況が発生する

一方の資本主義は、自由を重んじるあまり所得の個人所有とその相続を許し、個人の能力次第で所得拡大すすることが容認さている。その結果、社会の個人間の所得、資本格差は世代を追って拡大することになり、現在の日本のように経済繁栄の中で貧困者が増えるという病的な状況が発生するのである。

 

これを調整するのが税制であって、富める者や高額所得者から税金を取り、それで政府を運営して貧困者には生活苦を取り除く処置(社会保障)を行うことにしているのである。だが、経済的なゆとりのある人間が政府に発言権があるといいう、当然の社会現象によって、『富の再配分』を行う税制が次第に貧困者に不利なものへと変化してしまうのである。

 

日本は人口減少まで発生するほどの生活困窮者が続出している。

その貧困者に不利な税制の見本が生活費にかけられる消費税なのである。消費税を廃止して、高額所得者や資産を抱えて不労所得で生活している富裕層に課税して、その税収を貧困層の補助に充てる。それが資本主義社会の日本での望ましい税制なのである。

 

自分は、資本主義は人間の欲望を尊重した優れた社会制度だと思っている。だが、人口減少まで発生するほどの生活困窮者が続出している資本主義は間違っていると思う。安倍首相は、解散記者会見で人口減少を当然の成り行きのように語ったが、こんなことになったのは自民党政権の悪政によるものなのである。

 

●野党が安倍打倒で結束するのなら、この少子化問題とそこに陥った格差問題をどうやって解決するか、という日本の重大課題を共同提案するものでなければ、あまり意義がない。日本をどうするか、という次の対策がなければ、リセットされても困るだけである。