民主主義でも独裁制でもない。組織主義とでも言うのだろうか。

もし、誰も責任を負わないのであれば、民主主義でも独裁制でもない。言わば組織主義とでも言うのだろうか。そして、こうなれば、人間的な問題意識は完全に否定されてしまうことになる。


なぜなら、組織というものには、どこにも人間がいないからである。組織図というものがあっても、その組織図に担当者が書き込まれていないのは、実は単なる紙切れであって、実態がないのである。


●森喜朗は『責任者は文部科学相だ』と即答したが。


さて、今度の新国立競技場の迷走事件の場合はどうか。これを建設するのは従来から当地に国立競技場を所有していた文部科学省である。そして、運営は日本スポーツ振興センター(JSC)という独立行政法人が担当してきた。


組織図としては、文科省-JSC-国立競技場と一直線になっていて明確そのもので、責任者はだれだ? と疑念を抱かさせるようなものではない。東京五輪組織委員会の森喜朗会長は、責任者は誰か、と問われて『それは文部科学相だ』と即答している。


●建設費が2500億円を超えてメディアが騒ぎ始めた。


だが、下村文部科相は、『責任者は誰か、と言われれば自分だが--』と、煮え切らない姿勢で、新国立競場の建設問題が発生しても、まるで他人事のようだった。


舛添都知事に建設費用のを負担を頼みに行った時も、当事者らしくない態度だった。それで、『責任者は誰なのか?』と首を傾げることになったのである。そうこうするうちに建設費用が2500億円を超えるものとなると、メディアが騒ぎ始めたのである。


●安倍首相が『責任者は私だ』と名乗り出たような形になった。


そこに、突然、安倍首相が現れて『再検討してもオリンピックまでに建設が間にあうと確信した。デザイン白紙撤回することにする』と、発表したのである。ここに至って安倍首相が『責任者は私だ』と名乗り出たような形になったわけである。


よく日本では『頭越し』という表現があるのだが、下村文科相にしてみれば正に自分の頭越しに国立競技場の建設計画が再検討することになってしまったのである。


●『工期が再検討しても間に合うことに確信が持てた』という。


しかも、安倍首相によれば、この問題は1か月も前から検討してきたもので、『最大の問題である工期が再検討しても間に合うことに確信が持てた』という説明だった。


その工期は、日本開催が決まっていて主会場が新国立競技場となっていたラクビーワールドカップ2019(9月6日~20日)には間に合わないが、東京オリンピックまでには完成できる、という計画である。


●ラクビーワールドカップとオリンピックを開催するのがセットに。


ラクビーワールドカップ2019は、同協会の代表理事会長だった森喜朗(元首相)が日本誘致を実現させたもので、新国立競技場でやるのが大きな話題だった。


森は五輪組織委員会の委員長となってラクビー協会の会長職は、日本商工会議所の名誉会長岡村正に譲ったものの、新しい国立競技場で2019年にラクビーワールドカップ、2020年にオリンピックと開催することは言わばセットになっていたのである。


●政府の組織的な活動としては目茶苦茶なことになった。


元首相で五輪組織委員会の委員長がセットしている新国立競技場の建設計画を、御破算にすることはいかに文科相でも出来なかったのだろう。それを安倍首相が乗り出して(森と2度会談した)、『白紙見直しするためにラクビー開催は諦めてくれ』と、言って、今回の処置になったのだ。


それは結構な事だが、政府の組織的な活動としては、目茶苦茶なことになってしまった。常識的には、というより原則としては、安倍首相が下村文科相を呼んで、話し合い、直接管理しているJSCの河野一郎会長と相談して再検討するように指示するという方法が組織を活かすやり方だと思う。


●だれも大騒動になってしまった責任を取ろうとしない。


安倍首相のやり方は独裁的で独善的に過ぎる。自分が乗り出せば森はラクビーに間にあわなくても仕方がない、と諦めるだろうと安倍首相が思ったのなら、そのことを下村文科相に伝えて、建設計画の再検討を指示すべきだった。


また、今回の大騒動でも『一件落着』となったのに、だれも大騒動になってしまった責任を取ろうとしないのだから困ったものだ。森五輪委員長が『迷惑している』と言ったのは、その通りなのだが、この責任が曖昧になっていた事態は、超大物(実際には発言権がある)である森元首相そのものが元凶になっていたことも、また確かな事なのである。


●原発問題と同じく、この大騒動も無責任なことになった。


しかし、責任者となれば下村文科相であり、当人が責任を負いたくなければ、JSCの河野一郎を切って始末をつけるべきではないか。この人が、ラクビー協会の理事でもあるので、森人脈に手をつけることになるので、それも下村にはてきない、ということだろう。


原発問題でも一人の責任者も現れなかった。今度の大騒動でも、『大山鳴動してネズミ一匹も出ない』という不明確で無責任なことになってしまった。そうなれば、安倍首相が責任を取るしかないわけだが、これはまた、独裁政治家の宿命なのかもしれない。