反対意見のない会議、反対票のない議決をユダヤ人は信用しない。
反対意見の出ない会議、反対票のない議決をユダヤ人は信用しない、と言われている。これは、たしか、うろ覚えで恐縮だが、イザヤ・ベンダサン(山本七平)が1970年の始め頃に発売した『日本人とユダヤ人』という著書で読んだことだったと思う。
すぐに、付和雷同になってしまう日本人とは、全く違う賢い知恵に驚いたことを思い出す。ベストセラーになって著者探しで大騒ぎになり、出版社の社長が当人だと特定された。そして、大宅壮一賞を受賞したのではなかったか。
●日本人とユダヤ人は共通点が非常に多いとされている。
自分はこんな書き出しで言論の自由についての記事をブログにアップしたいのだ。だが、初めから余談になってしまうが、日本人とユダヤ人は共通点が非常に多いということも様々に議論されている。
中には、古代に小笠原経由でユダヤ人が日本各地へわたってきた、とする説もある。それはどうかと思うが、言葉によく似たものがいろいろあったり、ユダヤ人が混血を嫌う性向があって島国日本に住み着いたとか。
●中国人と日本人を一堂に集め、見かけだけで選別できるか。
そういえば、日本人は様々に渡来してきた民族による混血民族なのに、奇妙なほど『日本人は混血ではなく統一民族だ』とし、その頂点に万世一系の天皇を戴くような考え方が根強くある。
中国、韓国の人々とは一線を画した民族だとするのである。しかし、彼らと日本人を一堂に集めて、見かけだけで3か国に選別しようとしたら、容易ではないわけで、日本人として独自の血脈があるとはとても思えない。
●日本では立場が強い人物の意見に賛同する人々が多い。
そんなことから、もしかするユダヤ人の混血嫌いが日本人に移植されて、日本人の中国人、朝鮮人を別扱いしたがる風潮が強くなったのか、などど思ってしまう。
さて、冒頭に書いた多数決については、何も意見を表明しないでいて(沈黙していて)、いざ表決になったら多数派に賛成するか、立場が強いと思われる人物の意見に賛同する人々が非常に多いのは事実である。
●安倍首相の権力を笠に着て言いたい放題の議員たち。
このような風土にのって、自民党や安倍首相が多数派となっているのである。そして、それを笠に着て反対する人々を抑えつけようとしたり、その反対意見を掲載する新聞などを攻撃する不埒な人間がいるわけである。
このような言論に対する権力の横暴は、しばしば、それをやっている本人が何を自分がやっているのか認識していな場合がある。これが、もっとも恐ろしいことなのだ。
●言っていることが重大な意味を持っているのを理解できない。
今度の『メディアには広告を載せないのが一番弱らせることだ』と、大声で発言した大西英雄議員(自民党)は、自分が言っていることがどれだけ重大な意味をもっているのか、ちゃんと理解できていないのである。
政治家としての教養レベルが低いと言えば、その通りなのだろうが、それだけでは済まされない問題である。東京16区の選挙民が責任を持って『議員失格』を宣言して辞任に追い込むべきである。
●『民主主義の存立が脅かされた』のは沖繩のだけではない。
民主主義政治にとって、言論を権力の影響力で押しつぶそうとするのは、あってはならない重罪である。正にこれは『民主主義の存立が脅かされた』のであって、沖繩の問題だけで終わらせてはならない。
沖繩の2紙のほかに朝日新聞、毎日新聞がやり玉に上げられているのだが、その外の読売やサンケイはこれをどう受け止めているのだろうか。まさか、『良かった』と思っているのではないだろう。
●『これはまずい』と気がついた頃は身動きできなくなっている。
日本経済新聞は、産業界と財界の業界紙なので自民党支持を言わず語らずに示しているので、この問題の傍観者であっても仕方がない。だが、こと報道の自由に関わる重大問題なので、『広告を貰って儲かれば良い』という経済観念をはなれて、安倍政権の独裁政治に強く反対すべきなのである。
最初は、細い蜘蛛の糸が一本身体にかかっただけだと軽く考えていると、その糸の数が次第に増えて、『これはまずい』と気がついた頃には、身動きができなくなっている、というのが言論の自由なのである。
●NHKは、すでに権力に自由を奪われてしまっている。読売、産経も自民党の広報誌と化しているようだ。この、言わば『水蒸気爆発』で明らかになった言論弾圧の兆しが、本当のマグマ火山にならないように監視していなければならない時代になったのである。