前回載せたこちら、
『隣人愛。人類愛。フィランソロピー。たとえ民族が異なろうが、文化が異なろうが、どの人間のことも心から大切に思い、ただ漠然と他人事のように「存在を肯定する」などといった状態にとどまらず、もっと深く共感し、一歩踏み込んで、実際にその人のために具体的な行動を開始する心・精神。』
親子、兄弟、自己の愛は何となくイメージつきますが、
隣人、人類
となると、はてさてと言った感じではないでしょうか?
そもそもこの、
愛って何?
と思ったのは何でなのか。
この言葉こそが
命そのものであり、
存在そのものであり、
自分のもの
だと思ったからです。
30代の頃。
この愛って何だろ?と考えた事がありました。
受+心=愛
その時はこの、
心
というのが漠然としていて。
捉え所がなく、よく分からなかった。
今になって。
いろんな人と接してくるとそれ相応に自分なりの心の定義みたいなのご見えてきました。
○心とは?
その人の今の内面の状態。
内面とは、
怒り、喜び、悲しみ、楽しさ、苦しみ、慈しみ。
トラウマ、インナーチャイルド、過去の傷、葛藤、心配事、不安
キリなく出てくる感じです。
人はこの要素に、良し悪しの判断を付け、ジャッジする事が殆ど。
傷がある自分はダメ
怒ってはダメ
不安の思いは波動を下げるからダメ
そもそもこのマインドセットはいつ何処で採用したのか?
それぞれの内面は、実はただの個性。
これがあるからダメとしているのはただの観念。
なのでこの辺の常識は疑ったほうが良いかもしれません。
ネガティブな自分も自分。
ポジティブな自分も自分。
心とは。
そんなネガもポジも含めて
その全ての状態の自分である!
という事。
心とは。
そのまんまの自分で在る!
という事。
ここが嫌!
これがダメ!
と言うのは、ありのまんまの自分に対して、
【固定観念の刷り込みによって、表現されている勘違いの自分】
です。
○受とは
そんな、そのまんま、ありのままの自分の心を受け入れる!
受け入れるとは。
認めると言う事。
許可すると言う事。
許すと言う事。
そんな自分も居るよね!
そんな自分も大事だよね!
あの人、そんな感じの人だよねと尊重する。
自他を認め許す事。
そしてそんな自分、状態、心を受け入れる
それが
【愛】
と考えるに至りました。
【良し悪し関係なく今のあなたを受け入れます!】
それが人を、そして自分を愛すると言う事。
これが個人的に、漢字を紐解いて感じた、
愛
でした〜(╹◡╹)
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