推し活することは果たして”愛”か”恋”か
何いきなり哲学者やってんだコイツと思ったそこの貴方、どうも黒ノ芽です。
嬉しい事に、昨日の記事を読んで下さったフォロワーさんが何人か居たようで私の心はゲッタン並みに荒ぶっております。
見に来てくれた方、RTしてくれた方。
本当にありがとうございますm(_ _)m
さて、そんなフォロワーさんの中にこんな提言をしてくれた方が居ました。
「推しに向けてるその感情は、”愛”なんじゃないかな?」
なるほど、愛。
確かに推しという存在を推す時に溢れ出す思いは、愛そのもの。
私も推す時はたっぷりの愛情を注いで推させていただいています。
では、私が昨日言った恋と愛、どちらが推し活において当てはまるのでしょうか?
(昨日の記事はこちら↓)
考えに考えた結果、出てきた結論は…
それ、両方とも当てはまってるやん。
そう、両方とも当てはまっているのです。
推しを推すその一途な心は、正に純愛。
恋愛に置き換えて見ても、周りからは熱を浴びて
「あらあら、若々しいわねぇ☺️」
と微笑ましくなって、溶けたチョコレートのように甘い思いに包まれる。
推し活とは、正にそんな感じです。
そして推し活にはどんな形であれ、離れる時期がきます。
愛情を注ぐ新たな推しが居ても、必ずオススメ欄に上がってくるかつて情熱を捧げた推し。
「あっ…懐かしいなぁ。今、どんな事してるんだろう。」
と、かつての現役時代を思い出して無意識に公式ホームページやチャンネル、アカウント、切り抜きを覗いてしまう。
そんな、元カレとの思い出を思い出してふと振り返る乙女にも容易になれてしまう。
推し活とは、愛と恋を両方とも体験できる…。
そんな、かけがえのないものだと私は思います。
現実でなくても、そんな青くて甘酸っぱい春を幾つになっても体験できる。
それが、推しの凄いところでもあると私は思う。
2022/12/08 筆:黒ノ芽