ジャン・ルノワールが1938年に監督した『獣人(La Bête humaine)』は、フランス自然主義文学を代表するエミール・ゾラの小説を基にした映画です。

この作品の映像は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『暗殺者の家』(1934)を撮ったクルト・クーラントのカメラによるものです。

 

機関士のジャン・ギャバン(役名:ジャック・ランティエ )は、相棒の機関士ジュリアン・カレット(役名:ペクー )と貨物車両を操縦しております。

運転に専念している時のジャン・ギャバンは、異性に接したり飲酒したりすると頭痛と野性が発症する遺伝的苦悩から気を紛らわせることが出来ます。

ル・アーヴルで修理停車している時、ジャン・ギャバンは叔母のシャーロット・クラシス(役名:フェイシー)の近くの村を訪れます。

ジャン・ギャバンは、自身の暴力癖は無くなったとシャーロット・クラシスに告げますが、幼馴染のブランシェット・ブリュノワ(役名:フロール)に会った際に、発作が発症してしまいます。

2人が線路脇で抱き合うと、ジャン・ギャバンの手が彼女の首を締め上げますが、通過列車の轟音が彼の行為を思い留めます。

ル・アーヴルの副駅長であるフェルナン・ルドゥ(役名:ルボー)は、名付け親である資産家ジャック・ベルリオーズ(役名:グランモラン)の元で働いていたシモーヌ・シモン(役名:セヴリーヌ )と結婚しています。

フェルナン・ルドゥは、車内ルールを守らなかった紳士に毅然と対応しますが、砂糖王である彼が脅しをかけたことが、身の不安を彼に与えます。

フェルナン・ルドゥは、シモーヌ・シモンが以前ジャック・ベルリオーズと恋愛関係にあったのではないかと疑念を持ったことから、彼女を厳しく問い詰めます。

すると、シモーヌ・シモンは名付け親のジャック・ベルリオーズに利用されていたことを告白します。

ジャック・ベルリオーズへの意趣返しを決意したフェルナン・ルドゥは、シモーヌ・シモンにジャック・ベルリオーズと同じ列車に乗ることを要求します。

フェルナン・ルドゥとシモーヌ・シモンは、ジャック・ベルリオーズのコンパートメントへ乗り込み、フェルナン・ルドゥはナイフで彼の命を奪います。

しかし、コンパートメント車両の廊下で、2人は同じ列車に乗客として乗り合わせたジャン・ギャバンと遭遇してしまいます。

フェルナン・ルドゥの勧めもあり、シモーヌ・シモンはジャン・ギャバンに目撃したことを警察に言わないように頼んだことで、殺人容疑は常習犯のジャン・ルノワール(役名:カビュシュ)に押し付けられてしまいます。

其の後、シモーヌ・シモンとフェルナン・ルドゥ(役名:ルボー)は、夫々の形で殺人事件に悩まされますが、シモーヌ・シモンは慰めを求めてジャン・ギャバンを頼るようになります。

密会した2人は、小屋の傍らで雨水桶が溢れかえる豪雨の中、熱い抱擁を交わします。

シモーヌ・シモンはジャン・ギャバンに、夫フェルナン・ルドゥはいずれ自分を殺すだろうと仄めかし、ジャン・ギャバンを闇へと誘うかの様な目線を流します。

ジャン・ギャバンはフェルナン・ルドゥを襲撃することは出来ませんでしたが、シモーヌ・シモンが自宅でフェルナン・ルドゥと別れを告げるに及び、ジャン・ギャバンはシモーヌ・シモンの誘いに再び導かれます。

その時、二人はフェルナン・ルドゥが近付く気配を感じます。

パリ行きの列車に戻る途中、ジャン・ギャバンは機関士のジュリアン・カレットに罪を告白します。

 

エミール・ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」第17巻である「獣人」では、「居酒屋」のジェルヴェーズの次男としてジャン・ギャバン演じるジャック・ランティエ が登場します。

飲酒や異性に対する衝動がマッカール家の遺伝的宿業であることから、理性を駆逐した本能がジャン・ギャバンの軀を突き動かします。

シモーヌ・シモンが誘導するフェルナン・ルドゥの殺害未遂に対しては、衝動を感じなかったことからジャン・ギャバンの理性が彼の本能に打ち勝ちます。

しかしながら、一旦彼が衝動に支配されると、覚醒した彼の理性は激しい自責の念に駆られてしまいます。

ジャン・ルノワールは、「獣人」出版時の1890年当時、エミール・ゾラが文明の先駆けとして象徴的に描いた機関車の疾走とメカニズムを、躍動的かつ緻密なカメラ・ワークを駆使して銀幕に映し出します。

ジャン・ギャバンの職場でありながら殺人の舞台となる機関車のエネルギーとスピードを、ジャン・ギャバンが衝動に突き動かされる姿に絡めて描いたジャン・ルノワールの演出は、高レベルで奏功しているのではないかと考えます。

19世紀後半の花形職種である運転士になったジャン・ギャバンを、ジャン・ルノワールはフィルム・ノワールの先駆とも言える恋愛サスペンスとして、マッカール家の資性により負のスパイラルに陥る姿を描きます。

幼馴染のブランシェット・ブリュノワとシモーヌ・シモンに起こった2度の衝動と、フェルナン・ルドゥに発症しなかった本能的熱狂に、理性を超える遺伝的衝動が、機械的推進力を伴って噴出している様に感じます。

本作でシモーヌ・シモンが演じるセヴリーヌ を観ると自分は、オノレ・ド・バルザックの「従妹ベット」で意趣返しの為に3人の異性を掌中に収めるヴァレリー・マルネフを連想してしまいます。

しかしながら、「従妹ベット」の不実な3人とは異なり、ジャン・ギャバンの本能はシモーヌ・シモンが操る傀儡の糸を返し刀で断ち切ります。

容疑者カビュシュを演じるジャン・ルノワール監督の熱演と機関車疾走の映像が、制御不能状態に変貌するジャン・ギャバンの噴出エネルギーをアシストするかの様な演出に感銘を覚える、これからも観続けて行きたい映画です。

 

§『獣人』

ジャン・ギャバン、ジュリアン・カレット↑

シモーヌ・シモン、フェルナン・ルドゥ↑

ジャン・ギャバン、シャーロット・クラシス↑

ブランシェット・ブリュノワ↑

列車の通過で我に返るジャン・ギャバンとブランシェット・ブリュノワ↑

シモーヌ・シモン、ジャック・ベルリオーズ、フェルナン・ルドゥ↑

シモーヌ・シモン、フェルナン・ルドゥ↑

フェルナン・ルドゥ、シモーヌ・シモン、ジャン・ギャバン↑

ジャン・ギャバン、シモーヌ・シモン↑

ジャン・ギャバン、シモーヌ・シモン↑